B. ローマ帝国の滅亡は老人の死のようにゆっくりと,しかし確実に迫ってきた。ぞの主たる原因は,
まず国内では本土の( 1 )で兵士になる者が少なく,属州出身の兵士で占められる軍隊が分立割割拠し,
特にその兵士に多くの( 2 )傭兵が採用されたこと,また多数の軍隊と官僚の経費のため( 3 )が都市
に課せられたので商工業が衰え,従来の文化や宗教行事がすたれ,有力な金持ちは都市を去り,地方に
移って農村の大所領で生活し帝国の行政から独立していったこと,などである。さらに,帝国中期以後,
経済の生産様式にも大きな変化が生じた。共和政末期には多数の( 4 )を使って商品作物の生産をめざ
す大規模な(5)が経済活動の中心であったが, それに代わって人民の移転を禁じ, 隷属的な小作人す
なわち( 6 )から地代をとる( 7 )制が普及した。 都市の衰えや貨幣改悪もあり,商業もふるわず, 古
代世界はしだいにその活力を失い, 帝国の国力は弱まり, 穀物耕作を中心とした自給自足の自然経済の
封建社会に近づいていった。
(各2点,計14点)