ちゅうごく
中国の
ていこく
反帝国主義運動
おうべいれっきょう
えい
第一次世界大戦で、欧米列強のアジアへの影
きょう
たいしょう
響力が弱まると,1915 (大正4)年,日本は中
にじゅういっ
じょう
ようきゅう
国に対して二十一か条の要求を示し, 大部分を強引に認めさせま
せんりょう
さんとうしょう
した。 その中には, 日本が大戦中に占領した山東省の権益をドイ
シャントン
りょじゅん
だいれん
にちろ
ツから引きつぐことや,旅順・大連など,日本が日露戦争で獲得。
まんしゅう
した満州の権益の期限の延長や、内容の拡張などが盛りこまれて
23
いました。 しかし, これは主権をおかすものだとして, 中国は強
く反発しました。
p.279
へんかん
大戦後, 中国は山東省の権益の返還を要求しましたが, パリ講
きょぜつ
ばくはつ
和会議で要求が拒絶されると, 不満が爆発しました。 1919年5月 10
FE
ペキン
しうんどう 1
4日の北京での学生集会をきっかけに反日運動が起こり、帝国主
義に反対する全国的な運動へと発展しました。 これを五・四運動
といいます。この運動をきっかけに,孫文は中国国民党(国民党)
そんぶん
スンウェン p.181
を結成し, 1921年に結成された中国共産党と協力して,国内の統
ーを目指しました。
日本は, ベルサイユ条約で山東省のドイツ権益を引きつぎまし
たが, 1921年から開かれたワシントン会議の結果, これを中国
➡p.203 この見開きの時期