(1)第二次大戦後、 多くの植民地が独立したが、経済的にも自立することを目指して、
ロシアの経験から社会主義を参考にした経済開発が進められた。その目標は(①) を進
めることであり、国内の資源配分方法としては(②)が採用され、 対外的には(③) 型
貿易が導入された。社会主義の拡大は欧米諸国の危機感を高め、 イデオロギー上の対立
ともいえる(④)へと国際関係が移っていった。
(2)清代末期の中国では (⑤) を中心として日本企業の進出が進んだが、第二次大戦
後は大陸を制した(⑥) 政権の中華人民共和国と、 台湾に移った(①) 政権の中華民国
に分裂し交流が途絶えた。(⑥) は当初ソ連に倣って社会主義を実践したが、 1950 年代
後半から思想的対立や領土問題からソ連との関係が悪化し、内陸部に企業を移転させる
(8)といった非効率な政策とともに国際的に孤立しつつあった。日本は米軍の統治下
で(9)を主体として (⑥)との貿易を開始した。
(3)輸出品価格を輸入品価格で割った数値を(0)といい、 構造主義経済学の主張で
は途上国の輸出品は多くが(①)であるため需要の (2) が小さく、 不利であるとされ
た。また、構造主義では経済の二重構造が想定され、貧困から脱出するには (③) が必
要と考えられた。
(4現在、アジア経済は産業間貿易よりも())にもとづくバリューチェーンで結合