鎌倉時代後期になると、御家人の階層分解が
進んで経済的に困窮する御家人がみられ、ま
た庶子の台頭による惣領(そうりょう)と庶子
の対立などにより、御家人制はしだいに弛緩
(しかん)した。さらに蒙古襲来後の恩賞の不
足と異国警固番役などの負担の増大、あるい
は北条氏の被官(ひかん)(御内人(みうちび
と))と一般の御家人との対立によって、御
家人制の根幹が揺らぎ、幕府が滅亡する原因
ともなった。なお、室町時代にも御家人の称
は武家の家柄を示すものとして存続したが、
室町幕府の主要な権力基盤とはならず、その
実質は失われた。
(2)江戸幕府の直臣(じきしん)団のうち下級の
ものをさす呼称。知行(ちぎょう)高1万石以
下の直臣団は、御目見(おめみえ)以上を旗本
(はたもと)、それ以下を御家人と称した。御
家人には、直臣になった時期の違いによって
譜代(ふだい)と二半場(にはんば)と一代抱(い