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歴史 大学生・専門学校生・社会人

東洋史の授業のプリントです。 ()の所が分からないです。 わかる範囲でいいのでよろしくお願いします。

第4回 歴史から見る中国の「民族問題」と「国民統合」 ~ 「多民族国家」 をどのようにまとめるか!?~ ☆“多民族” を、どうやって 1つの “国家”にまとめるか!? ① みんなに共通の目的 価値観を持たせる →例 〔 コ 「自由と民主主義」 資本主義 自由経済 中国でも *** 以前=共産主義社会主義」 現在=「 ② みんな1つの 「民族」 だということにする 「少数民族」に政治的権力や経済的利益を与える ④ あきらめて、 バラバラになる (別々の国にする) →例〔 *[ 1. 「中華民族」の創出 ☆ 中国の56 民族= 「中華民族 ゴ」 以前の中国の紙幣 「角」札は現在も発行 → 近年、 中国政府は特にこの概念を強調 * 「中華民族の偉大な[復興〕」 → 少数民族を “漢民族化” するのではなく 「中華民族」として“[国民統合〕 ” を図る m 注) “実態”については注意する必要がある * 「中華民族」 概念 (清末~) 「多元一体的構造」(現代) 梁啓超 (1873~1929) 費 孝通 (1910~2005) * 国民国家 = 「想像の共同体」 (B. アンダーソン Anderson) 参考: 『定本 想像の共同体』 (書籍工房早山、2007) ☆近代国民国家は 「イメージとして心の中に描 コ」 * 「偉大な復興」 市場経済 ] 社会主義連邦共和国 1992年解体→6つの国家に分裂 ](民族浄化大量虐殺) 発生

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歴史 大学生・専門学校生・社会人

空欄の部分がすべてわからないです。教えていただきたいです

(1)第二次大戦後、 多くの植民地が独立したが、経済的にも自立することを目指して、 ロシアの経験から社会主義を参考にした経済開発が進められた。その目標は(①) を進 めることであり、国内の資源配分方法としては(②)が採用され、 対外的には(③) 型 貿易が導入された。社会主義の拡大は欧米諸国の危機感を高め、 イデオロギー上の対立 ともいえる(④)へと国際関係が移っていった。 (2)清代末期の中国では (⑤) を中心として日本企業の進出が進んだが、第二次大戦 後は大陸を制した(⑥) 政権の中華人民共和国と、 台湾に移った(①) 政権の中華民国 に分裂し交流が途絶えた。(⑥) は当初ソ連に倣って社会主義を実践したが、 1950 年代 後半から思想的対立や領土問題からソ連との関係が悪化し、内陸部に企業を移転させる (8)といった非効率な政策とともに国際的に孤立しつつあった。日本は米軍の統治下 で(9)を主体として (⑥)との貿易を開始した。 (3)輸出品価格を輸入品価格で割った数値を(0)といい、 構造主義経済学の主張で は途上国の輸出品は多くが(①)であるため需要の (2) が小さく、 不利であるとされ た。また、構造主義では経済の二重構造が想定され、貧困から脱出するには (③) が必 要と考えられた。 (4現在、アジア経済は産業間貿易よりも())にもとづくバリューチェーンで結合

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