歴史 ~近代のヨーロッパについて~
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高校1年生
お久しぶりです☺️
初めましての方は初めまして!!!
高校生になって初めての投稿でございます✨
今回は、
近代のヨーロッパについて
フランス革命での自由主義的考えの種(1〜2ページ)
イタリア統一について(3ページ)
クリミア戦争でのロシアの南下政策について(4〜5ページ)
をご紹介いたしました!!!🙌✨
メモとしてですが、まとめてみましたので
ぜひ見ていただけると嬉しいです!!!
それと、見えにくいところあると思いますので、気軽に言ってください!!!
ノートテキスト
ページ1:
近代ヨーロッパの転換点 近代化前!!て 自由主義。 ナショナリズム 不満がたまり、 (市民) 市民の権利× 王の政治(絶対王政) 「ナポレオン登場! 1804年に国民投票により女 皇帝になった フランス革命が起こる 凸 1793年 ルイ16世処刑 凸 革命がいきすぎてしまう。 (ナポレオン1世)→国民に 国民の混乱を収束させる必要がある 選ばれた者 ナポレオンがヨーロッパ大陸に ナポレオンの政策により・・・ オランダ、スペイン、オーストリア プロイカシ、ロシアなどに進出 進出したことによって(対外戦争も) ナショナリズム、自由主義などの 考えの種を海外にまく 1815~48年 立て直すため ウィーン体制となる!! に しかし 王の政治に戻す ナポレオンは敗北してしまう… 凸 国民はウィーン体制に動揺 → 1830年七月革命が ブルボン家シャルル10世から オルレアン家ルインフィリップ を新王へ 政治は絶対王政から 変わらず 起こる 1848年 二月革命が起こる便に!?国民の不満はたまる。 ルインクォリップを追い出し 共和政へ!!! これによりヨーロッパ(プロイセン、オーストリア) でも三日革命が起こる 国民投票により ルインナポレオンは 汁ポレオン3世になる 第二帝政と呼ばれる。 "
ページ2:
国内ではパリ改造!! 国外ではアロー戦争に参加(1856~60) ワナポレオン3世が したこと… 仏領インドシナ(ベトナム)をつくる!!(1887) 普仏戦争(プロイセン,フランス)&プロイセンに負ける 力をつけている! このときのプロイセンは 負けたことにより退位… 皇帝がいなくなってしまった!! A 第三共和政へ 勝手に 労働者による 自治政府が でき上がる (パリンコミューン)
ページ3:
19世記 ロンバルド=ヴェネト 連金利:南チロル、ドエステをもらう オーストリアが始めていた第一次世界大戦で イタリアが イギリス、フランス、ロシア、(アメリア,日本) 北イタリア日こはフランスが治めていた 教皇領はローマ教皇の土地 領土(フランスが ・オスマン帝国 ドイツ、オーストリアンハンガリー、 ブルガリアでイタリアは東ぎり連合側につく 獲ろうと思う…その頃オスマン帝国、フランス 守る) イギリス VS 両シチリア王国はブルボン家王様が治めていた ロシアのクリミア戦争が 同利 様々な国の仕事をするのがカヴール首相 サルデーニャ王国は サルデーニャ王国の(ヴィットーリオ)エマヌエーレ2世はイタリアを1つにしたいと考える 起まで いた フランスの力を借りて サルデーニャ国には ロンバルディア地方を 手に入れ、パルマ、モデナ、 多くのフランス人が住んでいるく ところがあるため、そこを サルデーニャ王国に フランスに味方して戦争に 参加 は ケチウーメ トスカーナ、ルッカ、教皇領の 北半分をサルデーニャ王国に一緒に攻める約束をした(プロンビエールの密約) フランスにあげるやわりにロンバルドンヴェネ王国を 手に入らず) して、 サヴォイアとニースを フランスに渡した。 カヴールは 南イタリアの方は貧乏なので 北半分がまとまれば良いと考えていた。 2プロイセン勝利! 10ヶ月ほど ジュゼッペ・ガリバルディが ローマ教皇鎖を Icccの兵(赤シャツ隊がジェノヴァから イタリアのものに・・ シチリア島に行き、1860年に両シチリア王国を占領 个 (南イタリア) 4年後(1870年(普仏戦争) 占領した土地をエマヌエーレ2世に献上 プインとフランスの戦争が 起きる イタリアがする ↓ サルデーニャ王国は1861年にイタリア王国となる 5年後で <プロイセンとオーストリアの戦争が起きるし普墺戦争)1860年 イタリアはプロイセン側について戦う プロイセン側脈ド(2ヶ月ほど ヴェネチアをイタリア ものに
ページ4:
クリミア戦争について そのため! ロシアは今になると港が凍る凍らない港が欲しい この頃!! 南下政策と ↓ オスマン帝国には ← ニコライ1世(ヨ)は キリスト教の聖地エルサレム にあり、その教会はフランス 南に土地を広げたい!! と考える が管理していた しかし キリスト教正教を 国の宗教と している フランス革命により維持不可に... ロシアが管理することとなった!! 1852年 ナポレオン3世(ルインフィリップ) がエルサレムの管理をフランスが やるとオスマン帝国に認めさせた! ロシア の 正教徒を守る "" この頃!!#」 少し前にイギリス、フランスでは ・産業革命が起こっていたため、 ロシアより有利!!! 大砲の弾も体飛ぶ、鉄製の蒸気船 クリミア半島のセバストポリ要塞を攻撃 (両軍20万人以上の人が死亡してしまった) 約1年… ↓ LESPERS バルカン半島(オスマン帝国 にある) という理由をつける 山 1853年 (97シア戦争2 オスマン帝国を攻める!! イギリス、フランスが味方になる しサイデーニャ王国も味方する) 途中 1855年にニコライ1世は 死亡 アレクサンドル2世が王 となる <連合軍勝利( 裏に続く…
ページ5:
ロシアは負けを認め ボスポラス海峡 1856年 パリ条約を結ぶ → ダーダネルス海峡は オスマン帝国以外の軍艦が 通ること禁止!! 連合軍は と黒海を中立化へ… ロシアの南下政策を 防止することに成功!! 山 ロシアは地中海をあきらめる... 日露戦争につながる しかし!! アジアに今度は注目する!!
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