歴史総合高1 冷戦下〜戦後経済復興まで。
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高校1年生
戦争、条約、会議等多すぎて、絶望…しかし、なんとか覚え切った私に拍手!!!
教科書とか見ながら、1人授業すると、テスト90点以上はとれる!!
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1. 冷戦下の地域紛争と脱植民地化 ・冷戦で、米ソ対立にとどまらず、世界の多くの国や地域を巻き込んだ 対立、ヨーロッパのみならず、アジア・アフリカ地域へも。民族、宗教対立も。 ●朝鮮戦争(1950~) 61953年に停戦し、朝鮮の南北分断固定化 1が支援 北: 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮) 南:大韓民国 (韓国 米と同盟=米韓相互防衛(1953) 2つの中国の 並存 朝鮮戦争勃発と同時に困は、台湾の中華民国政府を支援 大陸:中華人民共和国(1949)が支援=中抜ける同整相互(1150) 台湾:内戦に敗れた国民党による中華民国政府が支援= 米相互防衛条(1954) ・アラブ結成(1945):エジプト、シリアなど7カ国による。 第一次中東戦争(パレスチナ戦争、1948~49) ダヤ人の土地 GWWI後の委任統治領 アラブ人 ユダヤ → 国際連合、(1947)でパレスチナ分割案決議 パレスチナをアラブ、ユダヤで分割 →アラブ disagre→
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大陸: (1949) 内戦に敗れた民による中華民国政府が支援= 相互防 (1954) アラフ 結成(1945):エジプト、シリアなど7カ国による。 第一次中(パレスチナ戦争、1948~49) GWWⅠ後の委任統治領 アラブ人 ユダヤ人の土地争 国際連合、(1947)でパレスチナ割案決議 パレスチナをアラブ、ユダヤで分割 →アラブ disagreei→第一次中東戦争(パレスチナ勃発(1948) 建国 →ユダヤ agree イスラエル 結果 winner:イスラエル →パレスチナ80%を支配下、アラブ人は難民となる。 第二次中華(スエズ戦争1956) エジプト、シナイ半島をはさんでイスルと接する。 私軍の近代化を推進し、に接近。 b1.0は封じ込めるため、アスワン=ハイダムへの融資× (1956) →エジプト、セ大統領フェス運河の国有化園 はイスラエル とともに エジプト へ侵攻 →国際世論をうけて撤退 KOKUYO LOOSE-JEAF
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• 第三次中東戦争(1967) イスラエル奇襲 エジプトナイ半島 ・シリアのゴラン高原等占領 パレスチナ解放機(PLO)率いるアラファト議長を中心にイスラエルと武装 闘争を展開 WWⅡ後、伊、仏など植民地支配は動揺 南アジア インド: WWⅡ中よりガンディー、ネルーらが率いる 国民議派は独立要求、 ガンディー:独立は統一インドで 全インドニムスリム連盟 1 イスラーム国家パキスタンの分離独立◯ →個卵、パの分離・独立を承認。(1947) → ヒンドゥ⇒イスラムで衝突 (1948) 独立の父」カンディー、レンドゥー教徒に殺される。 セイロン(スリランカ 伊がら独立(1940) 多 教:シンハライ ンドゥー教:図 ・東南アジア
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→伊卵、パの離・独立を承認。 →ヒンドゥ イスラムで衝突 4 (1948) セイロン(スリランカ 多 仏教:シンハライ 上の父」ディ、レンドゥー教徒に殺される。 伊がら独立。((948) ヒンドゥー教:タミルト ・東南アジア ビルマ(シャンマー) フィリピン 伊 →WWⅡ中→(1948)独立 1946 独立→しかし、共産系抗日人民軍 インドネシア 1945.独立宣←スカルノ大統領 →オランダ武力→× (1949)承認。 パレスチナ) シオニズムのうごき by ユダスここ ナチス・ドイツによるホコースト K きみらの土地ね。 WWI中伊による ベルフォア宣言 ●セイン・マクマホン協定 アラト反乱しろ! by 英
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インドシナ インドシナ 戦争 (背景:ベトナム民主共和国独立宣言(1945)) 大統領ホーニチニミン社会主義国 →フランス反発、インドシナに軍事介入→インドシナ戦争勃発(1946) Ⅰディエンビエンフー の戦いでフランス軍大敗(1954) Ⅱ ジュネーヴ国際会議で休戦協定(1954)米・英・ソ・仏・中など18ヶ国 度線を境に北ベトナム民共和国 Ⅲ北緯17 南ベトナム国 が並存 ラオス カンボジア の独立(1953)もジュネーヴ国際会議 で承認される。 南ベトナム:アメリカが支援 ソ連、中華人民共和国に率いられた東側の侵略 北ベトナムと連携した南ベトナム解放民族戦線の活動が活発化し、不安定 ベトナム戦争(1965~75) Ⅰ アメリカ(民主党)ジョンソン大統領のもと、南ベトナム支援「焼] 韓国、ベトナムへ派兵、米国内で世論二分、反戦運動/ 日本、沖縄米軍基地利用批判・反戦運動 Ⅱ→→戦争 泥沼化→ニクソン ニクソン(共和党)規模縮小 →(1972) ニクソン結中
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南ベトナム: アメリカが支援 ソ連、中華人民共和国にいられた東の略 北ベトナムと連携した南ベトナム解放感の活動が活発化し、不安定に 戦争(1965~75) Ⅰ アメリカ(民主党)ジョンソン大統領のもと、南ベトナム支援] 韓国、ベトナムへ派兵、米国内で世論二分、反戦運動/ /日本、沖縄米軍基地利用批判・反戦運動 Ⅱ→→戦争 泥沼化→27ソン(共和党)規模縮小 →(1972)ニクソン訪中 →パリ和平協定 により撤退(1973) Ⅲ南ベトナムの都サイゴン陥落(1975) →ベトナム社会主義共和国成立(1976)→南北ベトナム統一 1887 迷失敗. 「第三世界」冷戦時の東西陣営以外の地域や1950年代以降アジア・アフリカ →一部はどちら(米)でもない 第三勢力 ―として中立・自立路線 平和五原則 (1954) 中華人民共和国首相 アジアンアフリカ会議(バンドン会議、1955) 周恩来 とインドのネルー ケインドネシアのバンドンで開催、日本含むアジア・アフリカ29ヵ国参加、平和 アフリカ地域の独立 北アフリカ (1956)チュニジア・モロッコ,(1962) アルジェリア 仏領 サハラ砂漠以南(1957)ンクルマ(エンクルマ)指導ガーナ元横領 (1958) ギニア 「中川の年 L 1900年)○ヶ国 KOKUYO LOOSE LEAP /-8075 mm (28
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0 · *(1960) コンゴ→地域対立から独立後、コンゴ動乱(~1965)~ (DAV)結成(1963) →連携をはかるも足並みそろわず経済的立ち遅れ、地域紛争 首公開催((961) ユーゴスラヴィアのティトーらの呼びかけで、首都ベオグラードで開催 →25ヶ国参加、平和共存、植民地支配の打破、 共同歩調 第一次石油危機と共に世界経済の混乱 (1974) 国連資源特別総会でJMF・GATT体制の変革を求める決議 ・1950年代のアメリカ社会 道路 ⇒ 高速 網と自動車(大量)←均一 1950年代一時的に景気後退→1900年代豊かな社会 [赤]族風→反共産主義の中で、知識人や公務員の思想追及運動 基本的に[大きな政府]路線が合意 [マーシャル=プラン]の援助を受けた西ヨーロッパ→復興 →政党(労働者から支援)[福祉国家路線] ECSCなど→→[ヨーロッパ総合]へとつながった フランス[ド=ゴール]アルジェリア独立を認め、政治を安定 アメリカと離 西ドイツ[アキナウアー ] 奇跡といわれた経済的復興 ↑東ドイツ価格差(ベルリン)建設
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1950年代一時的に景気後退→1900年代豊かな社会 [赤]族風→反共産主義の中で、知識人や公務員の思想追及運動 基本的に[大きな政府]路線が合意 [マーシャル=プラン]の援助を受けた西ヨーロッパ→復興 →政党(労働者から支援)[福祉国家路線] ECSCなど→→[ヨーロッパ統合 ] へとつながった フランス[ド=ゴール]アルジェリア独立を認め、政治を安定。アメリカと距離 西ドイツ[アデナウアー] 奇跡といわれた経済的復興 ↑東ドイツ 格差 (ベルリンの壁)建設 ソ連 スターリン死亡→[フルシチョフ]、(スターリン批判) Lスターリンの独裁・粛清・個人崇拝を批判 (1955) ジュネーブ4巨頭会談をおこなって、[平和共存路線]を打ち出し、 (1959)アメリカに[フルシチョフ]が訪問するなど[雪どけ]を印象づけた。 (1961)西ベルリンからの撤退を求め、革命後のキューバに核ミサイル 基地を建設する(1962)など行動は対決的で挑発的。 (1968) チェコスロヴァキア政府、国民の支持を得ながら、政治と経済の自由化 に着手→[プラハの春]←[ブレジネフ](ソ連)おさえこむ。 ソ連に反対する決定許されない←考え方=[制服限主]
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WWⅡ後、[差別に反対する運動]が活発化 背景)) WWI,Ⅱは総力戦であり、男女、本国人・植民地住民・黒人・百人 ・黄人の区別なく、様々な人が参戦、権利に目覚めたため。 代表的な運動→[植民地独立運動]生まれた場所による差別に反対 ●[女性解放運動](フェミニズム ) 性差別・ 〔人種差別反対運動 人種差別 〃 18世紀から存在。1960年代~アメリカ中心・性別役割分担の批判 人工娠中絶 合法化の要求など、様々な要求を掲げた 妊 A 2 (1959) [アラバマ州で黒人女性、白人専門のバスの座席にすわり、 逮捕された。→きっかけ→[公民権運動]= [黒人差別反対運動]→(1964) [公民権法 公的な差別、なくなる。ゲネディ ジョンソン→成立) 1960年代「青年の反乱」が相次ぐ。 特に(1908)年、アメリカ、フランス、日本でき 10万円代生げ
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逮捕された。→きっかけ→[公民権運動]= [黒人差別反対運動] (1964)[民権]法 公的な差別、なくなる。ゲネディ ジョンソン→成立) 「 1960年代 「青の反乱」が相次ぐ。 特に((468)年、アメリカ、フランス、日本で 迷1960年代半ば~大学生中心[ベトナム反戦運動」→大学占 ⑩ ベビーブーム世代が進学も、教育→[五月危機 ](五月革命) ストライキのデモによって譲歩。(政府) →大衆化が進む中で制度や組織の一部が十分な対応を示す。 冷戦期の米対立の中核的な部分→[核兵器]を中心とした対立。 困、[アイゼンハワー]政権(軍出身)国防費羽その分安価と考えられた 核兵器に依存。 (1957) 人類初人工衛星スプートニク1号の打ち上げ 成功→困驚愕→[ミサイルニキャップ] =ミサイル技術分野について、アメリカよりソ連が優れる。 [ ケネディ ]政権ム両方すすめる。ミサイル強化財政圧追 カストロらにより、社会主義革命政府で、キューバへ。→[キューバ危機
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→ 秘密裏に基地((962枚) → キューバの海上封離 →譲歩し、ミサイル撤去 LL(1963) 英・米・ソ3週間の[部分的核実験禁止]締結 反核、平和運動の流れ→WWⅡ中、長崎、広島で使用、保育園、 核兵器数増加→核実験廃止、核兵器廃絶を求める声 (1954) 日本のマグロ漁船[第五福竜丸 ]が[ビキニ環礁コで アメリカ水素爆弾実験によって被爆 (1955)[第一回原水爆禁止]広島で → 科学者:アインシュタイン、哲学者ラッセルらの呼びかけで科学者大勢 参加→(1957) [パグウィッシュ会議】 反核・平和運動広まるも、核開発継続。 (1969)ニクソン(米)→○○○ベトナムと休戦協定を結ぶため、ソ連の一定協力 10核ミサイル・軍拡競争…負担に感じ始める。 →→[ニクソン]←図にゆさぶり、 L(1972) 米 [略兵器制限交渉] SALTE ) 妥結 ) 弾道ミサイルを増加させないことで合意。→政策→[デタント]( →動きはヨーロッパにも波及→西ドイツ社会民主党[フラット]首相 ソ連、東ヨーロッパとの関係改善をはかる[東外交」を始める。 (1972) [ドイツ]と[南ドイツ]両国ともに[国際 (1975) [フィンランド]の[
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→000ベトナムと休戦協定を結ぶため、ソ連の一定協力 図00核ミサイル・軍拡競争…負担に感じ始める。 →→[ クソン中 コー図にゆさぶり L(1972) ← 制限交渉 [交渉 ] SALTI 弾道ミサイルを増加させないことで合意。→政策→[デクート〕 ( ) 妥結 →→動きはヨーロッパにも波及→西ドイツ社会民主党[ブランド]首相 ソ連、東ヨーロッパとの関係改善をはかる[東外交」を始める。 (1972)[東ドイツ]と[西ドイツ ]両国ともに[国際連合加 (1975)[フィンランド]の[ヘルシンキ]で全安全保障協力会議が 聞かれ、主権尊重、武力不行使、科学・人間交流の協力をうたう [ヘルシンキ宣言」が採択。 キューバ危機→核を防ぐことを検討されはじめる→国連、62ヶ国(1968) 【核拡散防止条約](NPT)調印←保有国(米、ソ、英のち中、仏 事故は削減交渉を行う義務あるも×。 (1979) [スリーマイル島原子力発電] 原子力管理の難しさ 1970 後半ソ連、キューバや東側とアジア・アフリカ・ラテンアメリカ左派と関係 米 →(1979) [第2次戦略兵器制限交渉](SALTⅡ)調印 (1979)12月、1 [アンイスラーム]の波及を恐れ、[アフガニスタン]へ軍事介入→デタント×
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西ヨーロッパの統合 は、(ヨーロッパ石原 [シューマン ]の提案で、仏、西ドイツ、(3) 同体 )(OS)を立ち上げる。 この動きは社会主義園との対立にもうながされて、 する(ヨーロッパ経済共同体)(EEC),(ヨーロッパ原子力共同体) (EURATOM)へと発展 →関税の相互引き下げ、共通の高・農業政策、資本・労働力移動の自由化が実施 1967 3共同体が合併し、(ヨーロッパ共同体)(EC)となり、西ヨーロッパ統合 の基礎がつくられる。 (英)は(EEC)に参加せず、とって 1960 (ヨーロッパ自由貿易連合)(EFTA)を結成し、対抗。 背後のアメリカの経済力を見て加盟友の仏:ドのゴールの退陣 1973 第一次石油危機で経済的に動揺しはじめる EC LEC、英加盟を認める。(拡大EC) 1980年代ギリシア、スペインなど南ヨーロッパ諸国も加え、巨大な( 東南アジアでの連携
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イギリスの背後のアメリカの経済力を見て加盟震対の仏:ド・ゴールの退陣 C 1973 第一次石油危機で経済的に動揺しはじめる EC LEC、英加盟を認める。(拡大) 1980年代ギリシア、スペインなど南ヨーロッパ諸国も加え、巨大な 東南アジアでの連携 ・1944 共産主義拡大防止のため、アメリカも加わり、東南アジア条約機構 (SEATO)を結成するも77年に解散。 1967 地域的協力組織として(インドネシア),(マレーシア)(フィリピン) (シンガポール)、(タ)の5ヶ国が結成した(東南アジア諸国連合 (4)が誕生。のちにブルネイ、ベトナム、ミャンマー(ビルマ)、ラオス、カンボジアなど アラブ・アフリカ・南北アメリカ ・1945 協力と連帯を目的として、(アフリカ連盟)を設立。 アフリカでは(1960 1年に17ヶ国もの独立国が生まれる。→アフリ年) 1963 アフリカ諸国首脳会議には、30ヶ国が参加、ここで( →内政不干渉を原則としていて、大規模内戦型紛争には関与せず。 1947 南北アメリカ←アメリカがカ。共同防衛、相互協力→(リ協定) )() 1948(機構)(AS) ラテンアメリカの問題···(地下)
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第三世界からみたアメリカとソ連 ・資本家と労働者という(階級格差のない社会、勤労者みずからが支配する 社会という理想←第三世界諸国にとって魅力的(ロシア) 1950年代、ソ連経済好調、政府主導で短期間に工業化に成功したモデルとされた。 アメリカ、←旧植民地宗主国であった→依然として経済的に収奪= (新植民地主義)←新たに独立した国々から批判 計画経済の広がり ・インド独立後、初代首相ネルーと国民会議派のもとで「社会主義型社会」を目標 に五ヵ年計画を推進。→政策の基本:政府主導による保護貿易主義的な 重化学工業化(国営企業)中心の工業化 1969以降、主要銀行国有化、一般保険国有化なども実施。 インドでは、経済では社会主義的側面を有していたが、政治的には民主主義を遵守 北ベトナム、キューバなど→(ソ連型社会主義) WWⅡ~1970年代西側先進国でも社会主義的思想、根強い人気。 ソ連の不安定化 ●ソ連経済→(重工業)と軍需産業が重視 アメリカと平和共存を目指すソ連外交中国の方針:帝国主義と対決する 1960 ソ連、中国援助停止→(中り甘立) 1969 軍事衝突(国境) ソ連 政府高管と一般市民との格差、バクー油田など天然ガス資源
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1909 以降、主要銀行国有化、 一般保険 インドでは、経済では社会主義的側面を有していたが、政治的には民主主義を遵守 北ベトナム、キューバなど→(ソ連型社会主義) WWII ~ ・1970年代 西側先進国でも社会主義的思想、根強い人気。 ソ連の不安定化 ●ソ連経済→(重工業)と軍需産業が重視 アメリカと平和共存を目指すソ連外交 中国の方針:帝国主義と対決する J 1960 ソ連、中国援助停止→(中り丼立) 1969 軍事衝突(国境) →→ ソ連 政府高管と一般市民との格差、バクー油田など天然ガス資源 を保有→(技術革新)の遅れ 中国社会主義体制の形成 ・土地帯(集団化)→土地共同所有 1957 反右派闘争…共産批判の知識人、弾圧 1958 [毛沢東](大躍進)の政策・農村に(人民公社) →失敗 転変する中華人民共和国 1964 米に対決…原子爆弾の実験に成功・中ソ対立、インドとの関係悪化 [966 [毛沢東]の復権をはかる→(プロレタリア大革命 (1)
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経済復興と国際経済秩序への参入 WWⅡ後世界規模の自由貿易と為替レートの安定を目的として、米の通貨ドル を基軸とする(デレトニュウッズ体制)と関税及び貿易に関する一般協定() 1956(経済白書)が(「もはや戦後ではない」 →55年後、日本は戦後の経済復興を終え、(技術革新 めざす段階に入る。 済成長)を 1954 第5次[吉田茂]内閣の与党自由党から[鳩山一郎]、[発信] が離党し、日本民主党を結成。→第一次→内閣 → 1955の衆議院選で社会党左派・右派が躍進 日本民主党と自由党が自由民主党を結成。→→→ (1955年体制 第二 →第三次→(Bソ共同宣言)や(調際連合への加盟)を実現 (岸)内閣(日米相互協力夏び安全保障条約)←強行→デモ [池田勇人〕内閣、日本国民の所得を10年で2倍( 全国総合開発計画、所得再分配政策 計画) 1955~70 GDP 年率平均(11)%前後、GDP(4)倍、1人あたり3.5倍 →アメリカに次ぐ2位 (高度経済成長 労働力、安価なエネルギー、生産技術の革新 「黄金の60年代」←輸入、市場 高度経済成長がもたらしたもの ・貧富の差減少
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[池田勇人〕内閣、日本国民の所得を10年で2倍(所得倍増計 全国総合開発計画、所得再分配政策 1955~70 GDP 年率平均(10)%前後、GDP (4)倍、1人あたり3.5倍 アメリカに次ぐ2位 高度経済成長 労働力、安価なエネルギー、生産技術の革新 「黄金の60年代」←輸入、市場 高度経済成長がもたらしたもの ・貧富の差減少(社会階層)の(平準化)(均質化)(中流産)の普及 →耐久消費材に対する需要が高まる。 都市と農村の格差が拡大し、(過疎化) さらに大都市や工業の集積地では(四大公害)を始めとする環境の悪化 青年層を中心に、高度経済成長の負の側面を批判する対抗文化(カウ ・カルチャー)が広まり、(消費者運動)や(環境保護運動)が始まる。 1967 公害対策基本法を制定 1971 環境庁(現在の環境省)を設置
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日平和条約と東南アジア諸国への賠償 1952 台湾と(日本平和条約 ビルマ、フィリピン・インドネシア・南ベトナム→日本に賠償を求める。 L1955以降(役務・生産物の無償提供と借款 ) ↑経済開発の支援と同時に日本の(経済進出の機) 1960年代終了も、(東南アジア諸国への政谷間振り) (ODA)を続ける。 韓国・中国との関係改善 ・(李承晩)政権、(李承晩ライン)を設定→交渉×(1952~) 1961 (柏原点と)政権成立。 1965 (日韓基本条約)を結ぶ。 中国…(1つの中国 )という立場の承認を原則 → 1971 ニクソン中 1972(日中共同声明)調印 1978(日中平和友好条約)結ばれる。日中 ODA 沖縄の日本復帰 1968 沖縄初の琉球政府主席の選挙 反アメリカ軍基地の立場[] 1971 (中縄返還協定)にもとづき、1972に日本へ返還
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読みにくくてごめんなさい。黄色い文字のところは、教科書にだいたい書いてあると思うので読めないところは自分でみてみてください...!