世界史B 主権国家体制~ヨーロッパの海外進出

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なかにし

なかにし

高校全学年

テスト前に教科書を元に簡単にまとめたものです。テスト前の軽い復習などに活用してください。(p.213~p.236)
各見出しは教科書の小テーマです。

ノートテキスト

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No.
Date
プロイセンとオーストリア
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プロイセン:スペイン継承戦争で神聖ローマ皇帝助け国に昇格(1701年)
2代目フリードリヒ=ヴィルヘルム1世(1713~40)が絶対王政の基礎つくる
1740年フリードリヒ2世即位
○オーストリア継承戦争(1740~48年)
オーストリアのマリア=テレジアがハプスブルク家の全領土を継承したことに異議。
シュレジェンを占領
シュレジェン獲得
○七年戦争(1756~63年)
オーストリアのマリアンテレジアがシュレジェン専回めざすも失敗※「外交革命」
「君主は国家の僕」と自称し、君主主導で改革をすすめる啓蒙専制主義。(「上からの
近代化」)
フランス啓蒙思想(ボーダン)に基づく政策
ユンカーを中心とする非近代的性格。農民の地位改善×
○オーストリア
マリア=テレジア (1740~80):対プロイセン「外交革命」
ヨー
1-ゼフ2世(1765~90):上からの近代化につとめるも民族感情の反発
ベーメン王国(チェック人)
・ハンガリー王国、北イタリア(マジャール人)
ベルギー

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北方戦争とロシア
+11
17C後 ステンカラージンの農民反乱
鎮圧後
ピョートル1世(1682~1725)が帝位につき、西欧諸国を模範に改革
シベリア経営をすすめ、中国の清朝(康煕帝)と1689年ネルチンスク条約結ぶ
オスマン帝国圧迫し、黒海北部のアゾフ海進出
北方戦争(1700~21年):ポーランド、デンマークと結んでスウェーデン〔カール12世]
を攻撃し、バルト海の覇者に!
[首都〕 ペテンブルク(1712年~)
エカチェリーナ2世(1762~96年)
・オスマン帝国からクリミア半島奪う
東方オホーツク海まで進出
日本にラクスマンおくる
・プガチョフの農民反乱(1773~75)以降、農奴制強化

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アジア市場の攻防
ポルトガル
1510年 インドのゴア占領
スリランカ、マラッカ、モルッカ諸島などを支配下に香辛料貿易を展開
1517年
広州にいたって明と通商
57年 マカオ居住権を得て、ここを拠点に対中国貿易
1543年 種子島に漂着したのをきっかけに平戸来航(17cmまで)
アジアとの交易はポルトガル王室の独占事業であったため国内産業の発展に
一つながらず。
スペイン
フェリペ2世時代にフィリピン領有。メキシコと結びマニラを拠点としたアジア貿易
オランダ
1602年 東インド会社設立。ジャワ島バタヴィア拠点にポルトガル商人を排除しつつ、
香辛料貿易に参戦。
1623年 アンボイナ事件:オランダ商館襲撃の陰謀を理由にイギリス商館員殺害。
→オランダ領東インドの基礎
1652年 南アフリカにケープ植民地築く
T
◎「鎖国」体制の日本とも交易(1630年代〜)
一時台湾占領
イギリス
1600年 東インド会社設立。東アジア貿易参入試みるもアンボイナ事件後はインド経営に
力を注ぐ。
基地:マドラス、ボンベイ、カルカッタ 3度のイギリス=オランダ(英蘭)戦争で貿易優位に
フランス
1664年 コルベールのもとで東インド会社再建 インド進出
基地 : ポンディシェリ、シャンデルナゴル
WING
東インド会社の傭兵軍
地方政権の連合軍
七年戦争時、1757年プラッシーの戦い(英いるクライヴ VS⑩総督デュプレクス)

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Date
アメリカにおける植民地争奪
ラテンアメリカの大半を植民地化したスペイン(ブラジルはポルトガル領)
→D
・黒人奴隷を用いた鉱山の開発で金銀独占
↓ 新興国の攻撃によって地位低下
オランダ:アフリカ西岸とアメリカと通商
1621年 西インド会社設立
ニューネーデルラント植民地を領有。(中心都市:ニューアムステルダム)
フランス:17世初~ケベックを中心にカナダ進出
ルイ14世の時代ルイジアナ領有
◎イギリス:北アメリカ東岸に最初の植民地ヴァージニア領有
ピューリタンが迫害逃れ北アメリカに移住。1620年 ピルグリムニファーザース
(ジェームズ1世の時代)ニューイングランドの形成。
18C前、13の植民地領有
イギリスVS フランス
第2次英仏百年戦争
○ファルツ戦争:ウィリアム王戦争
○スペイン継承戦争:アン女王戦争
1714年ユトレヒト条約によって英は仏からニューファンドランド、アカディア、
ハドソン湾獲得
○オーストリア継承戦争:ジョージ王戦争
1763年パリ条約
英:カナダ、ミシシッピ以東のルイジアナ、フロリダ
西:ミシシッピ以西のルイジアナ
インドではプラッシーの戦いで英クライヴ勝利→インド貿易の独占

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