Japanese history
SMA
Terselesaikan

中大兄皇子は改新の詔で、部曲を廃止しました。その後、教科書を読んでいると、天武天皇は675年に豪族に与えた部曲を廃止しと書いてありました。まず、部曲は一度、復活したんですか。よろしければ、どのような経緯でか教えてください!また、この675年とは、部曲を与えた年なのか廃止した年なのか教科書から両方の解釈ができますが、どっちですか

Answers

✨ Jawaban Terbaik ✨

675年に再廃止をしました。
664年に甲子の宣というものが出て、一度豪族の私地私民制は復活していますので、それを再廃止したのが675年のことです。

経緯としては、そもそも大化の改新で公地公民制が成立し、班田収授を行うようになったというのは『日本書紀』の記述を元にそう言われてきたわけですが、著名な郡評論争において『日本書紀』の記述の信憑性が問われたことや、様々な研究が進み、どうやら(当たり前っちゃ当たり前ですが)大化の改新で一気に改革が進んだなんて事はなく、漸進的に改革が進んだと解釈するのが正しいのだろうという考えが一般的になりました。

さきち

ありがとうございます。なるほど、1回復活したのですね。とりあえず、今は大事なところだけ覚えておきます。

Post A Comment
Apa kebingunganmu sudah terpecahkan?

Pengguna yang melihat pertanyaan ini
juga melihat pertanyaan-pertanyaan ini 😉