Contemporary writings
SMA
文学国語「共感と驚異」穂村弘
「それ自体の純度を追求されてはいけない」とはどのようなことか。
教えて頂きたいです。
体験に即しているという点では原作よりもむしろこの方が自然である。
多くの読者の体験と一致しているはずである。 それにもかかわらず、感動の度合
いでは明らかに原作の方が強い力を持っている。「桜色のちいさな貝」では、心
の深いところには刺さらないのである。読者の多くは、自分では「飛行機の折れ
た翼」を砂浜に埋めたことがないにもかかわらず、その思い出に対してより強い
感情移入をすることができる。それはなぜだろう。
「翼」と「桜貝」の違いはそのまま、言葉が驚異の感覚を通過しているかどう
かの違いである。おかしなたとえになるが、「桜貝」の歌がコップのように上か
ら下までズンドウの円筒形をしているとすれば、原作の方は砂時計のようにクビ
レを持ったかたちをしている。このクビレに当たるのが「飛行機の折れた翼」の。
部分である。この歌を上から読んできた読者の意識はここに至って、「えっ?
飛行機の折れた翼?」という、自分自身の体験とはかけ離れた一瞬の衝撃を通過
することによって、より普遍的な共感の次元へ運ばれることになる。
その際一首のなかで「飛行機の折れた翼」は、あくまでも共感へ向かうための
クビレとして機能しており、多くの作品同様に、ここに含まれる驚異の感覚は、B
つまり
か。
寸胴。
語句
●意表をつく
漢字
翼(翼賛・尾翼)
普遍
★「言葉が驚異の感覚を
通過している」とは、具
体的にはどのようなこと
ズンドウ 上から下まで
が同じ太さであること。
在)→不変・不偏
277
異の感覚
★
それ自体の純度を追求されてはいないという点にも注意したい。つまり読者の想
とう いっつい
像力が全くついて来られないほど驚異的なものは初めからめざしていないのだ。
読者は「え? 飛行機の折れた翼?」という一瞬の驚きの後に、「本来は空高く
飛んでゆくはずのものが砂に埋められる」という悲しみを読み取る。さらに「二
葉で一対であるはずのものが欠けてしまう」といった二人の関係性の暗示をも感
じ取るだろう。
砂時計にクビレを作る方法は、「飛行機の折れた翼」といった変わったモノの
提示によるとは限らない。
「ふるさとの訛なつかし」の歌の場合は、「そを聴きにゆく」という読者の意表
をつく能動性が、 クビレとして機能して、 一首を支えている。ここからクビレを
奪った次のかたちと比較してみよう。
9
★「それ自体の純度
求されてはいない」
どのようなことか
「
「」
全ての物事に
どの?
ter
☆言葉が悪異の感覚
を通過している」とは、
具体的にはどのようなことか。
P277
L10
S
12
のようにクビになるということ
上から
歌を読んで、「飛行機の折れた聖」という言葉にたどり着いた時、
軽手を通過するということ。
自分の体験からは想像しにくい内容に、一瞬
☆
それ自体
糸
度を追求されてはいない」とはどのようなことか。
追究
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