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都道府県によって、内申の出し方が違います。
私立高校の場合は、内申関係ないのですが、何が言いたいかと言うと、地域やその学校によって色々違いがあります。
①まず、その事を、学校の先生に相談する。(意思表示)
②その時、アドバイスを聞きます。(どうすれば、良いのか)
③それに向けて、努力していく。
とはいえ、最後に厳しい事も書きますけど、
④学校生活は、特別教室への移動とかで、何かと体力とかを使っています。人間関係(距離感)を瞬時に考えたり、脳も莫大なエネルギーを消費して日々活動しています。
つまり、体力とか、集中力とかをならしていかないと、高校になって毎日通うとなった時、最初は何とかやる気でがんばりますが、しんどいです。
対策として、学校に行っている行ってないは別にして、散歩するとか、規則正しい生活をすることはしていって下さい。
不登校の時に、外に出るって勇気がいるのですが、次のことを考えると必要です。
不安になるのはわかります。その負のスパイラルに陥るのもわかりますが、人間は、歩く(活動する)と気が晴れます。適度な運動は心身に良いです。
ま、ぼちぼちがんばっていきましょうかね。
不安に思ったら、散歩してください。
考えても、不安になるだけです。今の自分のできる範囲の行動あるのみです。
なるようになります。
⑤やれることは、やりきる。結果はついてくる。
〉弁論が完成しました😊
それは何よりです。
今世の中は、技術革新(IT革命の次の段階)で、色々ゲームチェンジ(だからVUCA時代と呼ばれます)してきています。
IT革命は20年前から始まっていますが、20年前と状況が変わってきています。
歴史の最中に我々が生きていますので、IT革命の概念が確立していないので、正確にはなんとも言いがたい。
IT革命か、IT革命の第二段階か、そもそも、IT革命ではなく、次の技術革新と別分類にしたら良いのか?
だから、既存の価値観で学習するのは本当に怖い。
①学校は所詮、産業革命の少品種大量生産の時代の産物。だから、時代に合っていないので、当然、不登校などの問題を内包する。
スーパーのキュウリは、どれもまっすぐで同じ大きさです。
それは、消費者の受け(曲がっていると見栄えが悪い)や、物流のしやすさ(箱詰めのしやすさ)など効率を優先した結果です。
資本主義的な発想です。
でも、自然物は本来不揃いです。
②だから、生徒の画一化をつい学校(先生)は求めます。先生が悪いと言うより、そういう組織として明治時代に誕生した経緯があるので、少数の先生で大量の生徒に大量の情報(教育)を効率よくするという組織です。
③社会が豊かになって多様化してきました。だから、大量生産より、多品種少量生産(個別大量生産)が求められています。
④youtubeやSNSを利用したら、個別大量生産(多品種大量生産)が可能になる?
いろんな授業方法(教育動画)があるので、自分に合ったものを選べることが、技術的に可能になった。
⑤とはいえ、可能になったけど、その手法が確立されていないのが現状です。大人にとっても、過去の成功体験から未来の成功を導き出せない。産業革命の時代(30年前の日本)は、まだ、それができた。だから、学校の一斉授業という教育スタイルが成り立った。
【本題】
①時代と学校がミスマッチしているから、繊細な生徒もしくは、小規模校では、漠然とした不安が増幅されやすい。
小規模校では、先生の目が届きやすい故に、決めの細かな教育が可能ですが、ダイレクトに反映されるので、真面目な子が息苦しくなることもある。大規模校は、ほったらかしというか手が回らないけど、毎日、(学級、学年、部活での)いろんな同世代との生存競争で、学校生活で色々鍛えられる。大規模校でも一定数の不登校生はいる。
②リアルの学校に行くと言うことは、それだけで、色々社会勉強できるチャンスがある。
★だから、ちーさんが全日制の高校に行きたいというのは、良い事だと思っています。
③しかし、リアルの学校が、上手く時代に合っていない(ミスマッチを構造上おこしやすい)というのも同時にはらんでいます。
④授業が将来に役立つかどうかは?な部分がありますが、学校生活は社会勉強になります。
▲授業が、旧態依然の一斉教育なら時代に合わない。
〇結局、社会にでて、働くと言うことは、いろんな人と付き合っていくと言うことですから、学校はその予防接種みたいなもんです。
⑤いろんな人がいるのだから、自分も、完璧な自分像にしばられて不安に思わず、気楽にいって下さい。
【まとめ】
①資本主義の時代は、まっすぐなキュウリしか物流にのらず、農家で曲がったキュウリははねられました。
②でも、まがったキュウリもキュウリとしての味や栄養は同じです。
③今の世界や日本の閉塞感は、資本主義の限界からきているところが、多々ありますので、価値観の変換が必要です。
④例えば、断捨離とかミニマリストはその1つの形と個人的には思っています。若者(社会人になって学校を出て色々経験した20代や30代)の中には、そういう選択をする人がいます。
VUCAの時代は、学校で習っていない事を、自分が感じる学ぶ時代です。
だから、文科省も、主体的・対話的深い学びとか生きる力と言い出しています。
学校の授業が機能不全に陥ってきている局面が増えたことを感じているから、そう言い出しているのだと思います。
だから、必要以上に不安になる必要はないと考えています。
⑤狩猟生活をしていた人類は、いつ獲物をとれるかわからず、そもそも、自分が他の動物の餌食になる不安な時代を生きてきました。
そんな中生き残った人類は、散歩(獲物を探して歩いているだけ)で気持ちよくなったり、森や草原をうろうろしているから、森の中にいると気持ちよくなる(楽天的な?)個体が多く生き残りました。
(森はサルの時代の名残かもしれません。人類は森の現象によりアフリカの草原で誕生した。)
★人類は本来、生きているだけで、何だか楽しいものなのです。
資本主義は成長し続けないといけないという前提だから、不自然で息苦しいのです。
学校は、産業革命(資本主義)に成功するために作られた所なので、不自然さが残るのです。
気楽に、ぼちぼちいきましょうや。
誤字発見、他にもあるかもです。
×人類は森の現象によりアフリカの草原で誕生した。
〇人類は森の減少によりアフリカの草原で誕生した。
山場で、誤字をしてしまった。
ありがとうございます。
今日から、2日間休日なので、しっかり勉強頑張ろうと思います!
(たまに、息抜きもww☕️)
ありがとうございます。
最近になって、どんどん不安が増してきて心配になっていました。
⑤の通り、やれることは、やりきりたいと思います。
ちなみにこの質問とは異なるのですが、以前、別で質問していた、弁論が完成しました😊
回答ありがとうございました。