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この時期の政治を見るときの対立の軸は、藩閥と政党で見ていくといいと思います。大正政変で桂太郎内閣が退陣に追い込まれて以降、藩閥が超然主義をかかげて内閣を組織することは、ますます難しくなります。海軍で薩摩閥の山本権兵衛は、立憲政友会を与党として政党の影響力を強める政策を行いましたし、第2次大隈重信内閣は立憲同志会を与党とし、元老にはかることなく対華二十一か条の要求を中国に突き付けたりと、内閣が主導権を握ろうとします。大隈内閣ののちに成立した寺内正毅内閣は久しぶりの、陸軍・官僚閥=山県閥の首相です。寺内内閣は山県閥ですから衆議院に基盤はありません。そのため、政党の協力によらなければ議会で予算や法律を通すことができません。ですから、寺内は「挙国一致」をかかげて政党に協力を求めます。大隈内閣の与党だった立憲同志会など前内閣の与党各派は合同して憲政会を結成してこれに対抗します。つまり、首相は寺内なんかじゃなく、憲政会から出すべきだろという意味での対抗です。
これに対し寺内は衆議院を解散します。その結果、寺内内閣に協力できる部分は協力することを表明し、準与党となっていた立憲政友会が総選挙で衆議院第一党となります。
寺内の次に立憲政友会の原敬が首相になるのは、寺内内閣が米騒動の対応で責任を追及する世論が高まったために総辞職し、大正デモクラシーの風潮のなかで、国民をまとめるには政党内閣しかないという判断から原敬が選ばれたので、総選挙の結果と直接結びつける必要はないです。
とても分かりやすかったです。ありがとうございます。