✨ Jawaban Terbaik ✨
1858年の「サヴォイア・ニース割譲」は密約の条件として提示したものです。1860年は密約に従って実際に割譲したということです。
いえ、少し複雑ですが、密約の内容は「フランス軍の援助を受ける代わりに、サヴォイア・ニースを割譲する」という内容のみです。
フランス軍のナポレオン三世は当初こそ密約通り協力しましたが、1859年にイタリア側(サルディーニャ王国)に通告なくオーストリアと単独講和したため、統一戦争が中途半端に終わりました。このためサルディーニャ側もサヴォイア・ニースを割譲する約束を守っていません。
ですが1860年に中部イタリアの諸国がサルディーニャへの併合を望み、住民投票の結果、サルディーニャに帰属することになりました。この時にサルディーニャの首相カヴールが、中部イタリアを併合する国際認証をフランス側に要求し、その代償としてサヴォイア・ニースを割譲しました。
「密約に従って割譲した」という最初の説明は少し不味いものでしたね。失礼しました。
では密約では「サヴォイア・ニース割譲」の代わりにフランスに支援を受け、中部イタリア併合も認めさせたというとこですか?