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日本史B

日本史B [原因と結果] 鎌倉幕府の成立~安土桃山時代の展開

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みさ

みさ

ノートテキスト

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第1章:鎌倉幕府の成立
1 後白河法皇が頼朝を倒そうとした源頼朝は、全国に守護
地頭
ことをきっかけに、
を任命する権利を手に入れた。
2. 後白河法皇が1192年に
亡くなったのをきっかけに、
源頼朝は征夷大将軍に任命された。
3.源頼朝が亡くなって 源頼家が有力な御家人たちによる合議制
将軍になったので、
の時代になった。
4.1203年に 比企能員が働き、彼と結んでいた源頼家は伊豆
れた結果、
に閉じ込められた。
5.北条時政は有力御家人の比企
能員を倒した結果
政所の別当になり、初代執権
!
となった。
6.1213年に和田義盛を倒した北条義時は侍所の別当に就任した。
結果
7源実朝が暗殺され、源氏の正統な
後継者がいなくなったのをきっかけに
後鳥羽上皇は、北条義時追討の
命令を出した。
8.承久の乱 をきっかけに朝廷の京都に六波羅探題が設置された。
監視をおこなうため、
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9.
北条泰時 」は執権政治を
維持するため、
執権の補佐をする連署を設置した。
政治をおこなうため、
10.北条泰時は、今義制に基づく重要な政務や裁判を担当する
評定衆を設置した。
11. 御成敗式目は、武家社会の
道理に基づいた内容のため、
[御家人のみに適用された。
12.
評定衆の仕事の補佐をおくなうため、所領の訴訟は引付衆が専門に
おこなうことになった。

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第2章 鎌倉幕府滅亡への道
1.8代執権北条時宗が元の
服属要求を拒否したため
元は対馬・壱岐を攻め、博田湾に
侵入した。これを 文永の役という。
2 文永の役で博多湾に
侵入されたので
幕府はその地に防塁を築いた。
3.元は南を滅ぼし、中国を統一 大軍を率いて再び日本に攻めこんできた。
したので、
4.9代執権北条時のころになると
北条氏の権威がますます強化されていき、
5.得宗の家臣である御内人やその代表
である内管の権力が強くなったため、
6.蒙古襲来の結果、御家人はミ
窮乏化したため、
7.大覚寺統と持明院統が
対立したため
8. 後醍醐天皇は天皇親政を京
おこなうため、
9. 後醍醐天皇が隠岐に
流されたため、
10.建武の新政に対する不満が
高まったため、
11
足利尊氏が京都を制圧
これを弘安の役という。F
得宗専制政治が確立していった。
内管領の平頼綱が有力御家人の安達安盛
を倒すという 霜月騒動が起こった。
その救済のために氷仁の徳政令を出したが、
効果は一時的なものであった。
鎌倉幕府は両立を決定し、
両者を仲裁した。
正中の変元弘の変と呼ばれる
2度の計幕計画を立てたが失敗した。
護良親王は討幕の令旨を出した。P
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二条河原落書などが記される
ようになった。
後醍醐天皇は吉野に逃れた。
したため、

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第3章: 室町時代の展開
1足利尊氏の執事 高師直
足利直義が対立したため、
[観応の擾乱がおこった。
2 山名氏清は、11ヵ国の守護として
権力をふるっていたので、
明徳の乱でたおされた。
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3.将軍足利義満のころになると、
室町幕府の権力が強大化したため、
南北朝の合体が実現された。
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4.大内義弘は6ヵ国の守護として
権力をふるっていたので
応永の乱で倒された。
5.4代将軍足利義持が亡くなった
Tent".
6代将軍足利義教がくじびきで
就任した。
6. 播磨国で侍の国外退去を求める守護の赤松満佑が鎮圧した。
一揆が起こったので
7.鎌倉公方足利持氏 が、 幕府に
反発したため、
永享の乱で倒された。
8.将軍足利義教は恐怖政治を! 赤松満佑 に暗殺された。
代
おこなったので
9. 嘉吉の
この変で将軍が暗殺
されたあと、
民衆は代始めの徳政令を出すことを
要求した。
10. 山城国の国人たちが一揆を
おこした結果
畠山氏は山城国の南部から
追放された。
地
11.一向宗の人々が一揆を
おこした結果、
加賀国では約100年にわたって
本願寺による支配がおこなわれる
ことになった。
学

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第4章:戦国時代の日本
1. 前期倭寇が朝鮮半島で
海賊行為を行ったため、
高麗の滅亡がはやまったと
いわれる。
2.明との貿易は朝貢形式で
おこなわれていたため、
不満をもった将軍足利義持は、
貿易を中断した。
3. 勘合貿易は、利益が非常に
大きかったため、
将軍足利義教は、貿易を再開した。
4.対馬の宗氏の実力者が死去した
倭寇の活動が活発になり応氷の外寇
ため、
がおこった。す
Session 2
Session 3
5. 室町幕府の支配力が弱くなった勘合貿易の実権は有力 守護大名
ため、
に移っていった。
6 大内氏と 細川氏は、貿易の実権
をめぐって、
寧波の乱で争い、大内氏が勘合貿易
を独占した。
7. 三浦の乱で、朝鮮との貿易が
衰退した結果
後期倭寇が活動するようになった。
武田氏 上杉氏
伊達氏
[尼子氏 朝倉氏
「大内氏」
北条氏
今川市
毛利氏
鳩島津氏
大友氏
長宗我部氏
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Session 4
Session 5

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第5章:安土・桃山時代の展開
1. 信長は
は桶狭間の戦いで今川義元 有力大名としての地位を確立した。
を、岐阜で斎藤氏を倒したので、
2. 信長は政治の中心地である京を
押さえたかったので
足利義昭を15代将軍にした。
3. 足利義昭は浅井・朝倉氏・信長によって京から追放された。
延暦寺とともに信長に反抗したので、
4. 信長にとって一向宗という
宗教勢力は脅威だったので
伊勢長島の一向一揆 越前の 一向一揆
を平定した。
5. 武田
氏の軍勢は、非常に強力長篠合戦で信長に倒された。
だったが、
6 信長は、近江に壮麗な安土城
その城下町に 楽市令
を築城し、その城下町を発展させるため、出した。
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7.秀吉は自らが支配した土地を調査
するため、
太閤検地を行った。
8. 秀吉は、信長を殺害した「明智光秀
信長の家(重臣である) 柴田勝家
を破り、
信長の後継者としての地位を
確立した。
9.秀吉は関白太政大臣に就任
したので、
全国に惣無事令を出し、停戦を
要求した。
10.秀吉は農民による一揆を
防止するため、
全国に刀狩令を出した。
11.秀吉は朝鮮出兵
のための
人掃令(身分統制令)を出した
兵力を把握するために、

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