1968年、チェコスロバキアで「プラハの春」と呼ばれる自由主義的な改革が行われました。この改革はソ連の反感を買い、ソ連軍がチェコスロバキアに侵攻しました。これにより、アメリカとソ連の緊張が高まりました。
1971年、アメリカは金本位制から脱却し、ドル=ショックが起きました。これにより、世界中の経済が大混乱に陥り、両国の間に更なる緊張が生まれました。
その後、1970年代には緊張緩和が進み、デタントと呼ばれる期間が訪れました。1972年、アメリカとソ連は相次いでSALT(戦略兵器制限交渉)条約を締結し、両国の核兵器開発競争が緩和されました。また、ニクソン大統領とブレジネフ書記長の間で1972年に行われた歴史的なアメリカ・ソ連首脳会談も、緊張緩和に重要な役割を果たしました。
ところが、1979年にはソ連がアフガニスタンに軍事介入を行い、アメリカとソ連の緊張関係は再び高まりました。また、1986年にはウクライナのチェルノブイリ原子力発電所で爆発事故が起こり、両国の間で核兵器の危険性が再びクローズアップされました。
その後、ゴルバチョフ書記長が指導するソ連が、1980年代後半に「新思考外交」を打ち出し、アメリカとの緊張緩和が進んでいきました。そして、1989年にはハンガリー、ポーランド、東ドイツなどの共産主義政権が倒れ、ドイツ統一が実現され、冷戦が終結しました。
1989年には、アメリカのブッシュ大統領と、ゴルバチョフ書記長によって、マルタ会談が行われました。これは、冷戦終結後の新しい時代への道筋を示す象徴的な会談でした。
参考文献
山川出版世界史用語集
詳説世界史B 改訂版 [世B310] 文部科学省検定済教科書 【81山川/世B310】