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2710).2019.1年
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のたち
Til 次の文章を読んで、後の問いに答えよ。(配点 三〇)
みます。
「社会構想」というと、どうも社会の外形や構造に焦点が当たって、内契が尊れがらです。そこで、内からのまなさ
せん。
未来社会の価値観を考えてみましょう。
百性
3 たちが
効率重視の考え方は、資本主義の経済的な富と引き替えに、百姓に農の精神の大伝奥をせまったのでした。同じものを生庭
なら短い労働時間で生産する方がいいし、同じ労働時間なら多く生産する方がいい、という考え方は革新的なものでした。
部分な」
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ら、天地自然から、同じ仕事で同じものを引きだすくらしを続けてきて、それで不部合はなかった持代がずーっと続いてきたから
| です。
それまで三時間かかっていた仕事を二時間でできるようになったとします。短縮した一時間はほんとうに無駄だったのでし
か。仕事の中の大事なものも一緒に短縮(ハイキ)したかもしれない、と考えるべきです。次に短縮した一時間を伺に使うだた
間われます。生産拡大に使うなら、資本主義の思うままです。ところが休息や、控びや、学びに使うなら、「はかどる」時代に月
ることができます。
いました。決して、相手の生きもの(有情)にまで効率を求めることはありませんでした。
資本主義は西洋由来の「労働苦役」説を準備していました。労働は別の楽しみを手に入れるための手段に過ぎない、と言うもの
です。ところが松田喜一のように、働くのが楽しみだという百姓たちには、この論理はさっばり通用しません。
自家用車を手に入れることが、幸せなくらしだと宣伝されました。これまでと同じ労働と生産では、手に入らないので、所得を増
やすために、労働生産性を高めましょうね、という説得が受け入れられてきたのです
次に用意されたのが、新しい欲望を開発することです。その(テンケイは、一九六○年代に見られ、テレビ·洗濯機·冷蔵庫,
国川
農の世界でも、効率追求は、農業技術(農業機械や農薬·化学肥料など)とセットで推進されます。もちろんこの場合の農業技
術は、効率を上げるために開発されたものですし、外部からカネで買わなければならないので、否が応でも欲望をかき立てました。
1九六○年代以降の高度経済成長はこうして農村にも漫透し、農の中にも見事に効率·生産性という近代化思想が侵入したりで
す。
効率が重視されるようになると、「無駄な時間」を見つけようという気になります。一一日に三回も田んぽに稲を見に行くのは性
効率で、1回分は無駄な時間だ」と言うわけです。それでも(「一日に三回も田んほに通う」聞き分けの悪い百姓は、寺並しこ
馬鹿にされるか、「しょせん道楽百姓」などと郷摘されるようになりました。かつては百姓の鑑として尊敬されていたのとu a
m給用の英園は、「趣味的農業」になり、とうとう効率など眼中にない百好を「自総的農業」という、本来の(資本主衡句な
問図
農業ではないというニュアンスの行政用語で呼ぶありさまです
ところが、断固として効率を拒否したのが、生きものたちです。人間の仕事が効率化し、生きものにまで効率を求める人a
8 にあきれ果てたのかもしれません。生きものたちは、泳ぐスピードを速くしたり、羽化するまでの期間を短くしたり、w
量を倍増させることを拒んでいます。つまり、近代化、資本主義化、経済化、効率化を拒絶しているのです。
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を求めることが正当化され、不自然でなくなります
; もS
近代を超えていくための思想をのはてきました。農に限らず化が一番だったのは、人間や一
まったく異なり。の「効事」は効率のことが、「」は天地自然との関係が順調に進んだことをして一