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回 I
2生命倫理と環境倫理
すべての生きものを乗せた宇宙船地球号の文化は、定常化の文化である。すべてがその中で循環している。た
とえば」ゴミはどこにハイキしても、宇宙船地球号のなかである。地球の有限の資源をベースに考えると、使い
捨て文化は見直されなくてはならない。ちり紙とか牛乳の容器とかは、リサイクルの対象としてわかりやすいが、
原子炉とか高速道路とかもリサイクルしないと、巨大ハイキ物になる。マイナーチェンジが繰り返される車や電
化製品、住宅政策は今のままでいいのだろうか。
2 住宅を建てては壊すのが繰り返されているのは、ほとんど日本だけの現象だ。これはフローに重点をおいた経
済政策で、高度成長が永遠に続くということが前提になっている。一~三パーセントの経済成長では、建てては
壊すというスクラップ·アンド·ビルド方式は大きなリスクを負っているし、有限の資源の浪費という環境倫理
問題からは明らかに有罪となる。
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3 四O○年から五○○年はもつという住宅を造り、これを生活のキバンにしていくという方式をとるべきであろ p
う。二一世紀はぜロ成長に耐えられる文化という条件で、耐用年数と使用年数をイコールとする。使える間(耐
用年数)は、使い続ける。車もそうだし、パソコンもそうだが、住宅はその筆頭に挙げられる。
4イギリスのカンタベリーに行ったとき泊まったホテルは、数百年前の建物だったが、これがごく普通のホテル
として、普通の料金(朝食つきで一泊三〇○○円)で営業されていた。年金生活をしている元建築家の家も見せ
てもらったが、古い建物に古い家具。しかし、機能的な電化製品が組み込まれているという見事な生活空間を作 5
り出していた。伝統美がそのまま残されているという点では、日本の高級住宅はとうてい太刀打ちができない。
ヨーロッパに行くと、自分が死んでも家は何百年も残るだろうという不思議な安らぎがある。
~日本でも、建造物が鉄筋コンクリートで造られるようになったが、相変わらず木と紙で家を造る時間感覚で設
計されている。「どうせ、いつか壊すんだから」という感覚なのである。日本が近代化するときに、この流れる
水のような時間感覚はとても有利に働いたと思う。明治維新のときに破壊された名建築はかなりの数になるが、
「もし壊れたら修復して、元通りの形にする」という感覚では、近代化はできなかったかもしれない。
O永遠の形を求めるということは、未来の文化の基本的なケイタイであると思う。使い捨ての時間感覚とは正反
対のもの、サイサンを度外視してでも復元するという時間感覚でないと、生きてはいけない。つまり「壊して建
て直せばもっと良くなる」という
Tではなくて、「これを壊したら永遠に取り返しがつかない」という感覚
が、地球規模で持続するのが、未来文化の特色になるだろう。そこに改革や進歩がないのではない。改革や進歩 5
ですらも、永遠の価値を生み出すか否かが、問われるものとなるだろう。 築