なかじま
中島
敦
山月記
いえい
こぼう
5こうなんのい
「西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せら
せんり
巻けんかい
たの
れたが、性狷介、自ら恃むところすこぶる厚く、更に甘んずるを潔しとしなかった。
8こさん かくりゃく 100きが
いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に帰臥し、人と交わりを絶って、ひたすら詩
作にふけった。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を
死後百年に遺そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚がらず、生活は日を追うて苦
のこ
5
1隴西李
地図参照
学才
で才知が
いること
3 天宝
代の年
七五六
4名を虎
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5 江南
南(
警察
ひい
けいけい
3
11しょうこく
ほうきょう
しくなる。李徴はようやく焦燥に駆られてきた。この頃からその容貌も峭刻となり、肉落
ち骨秀で、眼光のみいたずらに炯々として、かつて進士に登第した頃の豊頰の美少年の面
影は、どこに求めようもない。数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のためについに節を
屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。 一方、これは、己の詩業
に半ば絶望したためでもある。かつての同輩は既にはるか高位に進み、彼が昔、純物とし 10
て歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の才李徴の自尊
しゅんさい
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8枚
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