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インダス川中流域の(10) 地方を中心に展開したインド最古の文明インダス文明は、
インダス中流域の(1②) や下流域の(1③)が代表的な遺跡である。
バラモン教の根本聖典は(20)人が神々を賛美した賛歌集である。このうちインド
最古で、『アヴェスター』との共通性が見られる聖典が『(2②)』である。
ヴァルナの第2位に位置する階層(3①) は武士·貴族階層で、主に政治·軍事を担
当し、仏教を創始した(3@) やジャイナ教を創始した(3③)の出身階層である。
4 ヴァルナの第3位に位置する階層(4①) は一般農民·商人階層で、主に生産·商業
活動を担当した。また、第4位に位置する階層 (4②) は征服された(4③) 系で、主
に隷属農民として扱われた。
(50)朝の創始者(5②)は、アレクサンドロス大王の侵入に乗じて(5③) 朝を
打倒した。さらにギリシア人勢力を駆逐して西北インド·アフガニスタンを統一した(5
の朝は中国では「華氏城」の名で知られる(5@)に都を置いた。
6 インド統一をほぼ達成した(50)朝第 3代(6①) 王は、(6②) を理想として(6®)
を実施し、磨崖碑·石柱碑を残した。王子マヒンダをインド東南部の島(6④) に派遣
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して仏教を普及させ、 中国では「阿育王」の名で知られる。
(70)から自立したイラン系 (7②) 族は、インダス川中流に位置する (7③)を
都として(72)朝を創始した。この王朝は(7④) 王の時期に全盛期を迎えてローマ帝国
と交易を行った。
8 第(80)回仏典結集で(8②) 信仰をもとに(8③) の救済を目指した仏教の一派
(80)は、中央アジアを経由して中国 朝鮮·日本に伝来して広く信仰された。
バラモン出身の仏教学者 (9①)は中国名で(9②)と呼ばれるが、『中論』 を著して
(80)の理論を確立した。
10 (72)朝期、(100) 文化の影響を受けたギリシア的要素の濃い美術 (102) 美術が
(73)を中心に流行し、インドで (10③) が制作される契機となった。
11 (72)朝と同時期、 デカン高原で (110) 系の人々が(11②) 朝を創始した。この
王朝は海上貿易で栄えてローマ帝国の金貨が流入する一方、 東南アジアへの仏教数伝播に
も貢献した。
12 ビハール地方で台頭して勢力を拡大し、 ガンジス川中流域を征服した (12①) は(5
の)に都を置き(12②) 朝を創始した。最盛期の(12③) の治世で (12④) 文学が
栄えたこの王朝の下では、 仏教学院 (12⑤) も建立された。 その後、(12⑥) の侵入
を受け衰退した。
13(122)朝期、 北インドでは (13①) に各地の民間信仰が融合して (13②) が成立し
た。この新宗教は (13③)· (13④) を中心とする多神教で、(1 3⑤) を神聖視し、
『(136)』『(13⑦)』『(13③)』にその教えがまとめられた。
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