次の文章の空欄1~0に
で記入せよ。
出 S 除
出年を示す。
や細かく分けておいた。
なお、近代を、さらに近
代、現代と二分する考え
方もある。その場合、ど
こで区分するかについて
は、次の二説がある。
徳川の幕蕃体制が崩壊し、明治政府が誕生した明治元年(一八六八)
く六七)
から今日までを近代と呼ぶ。
八七〇)
近世から近代へ。近代文学の出発を考えるうえでは、@近世文学との関係、
外国文学·思潮の影響、@日本の近代化の内実、の三点に注目する
必要がある。近世において文学は、戯作などの大衆の文学と、儒学な
どの思想に代表される知識人の文学に分かれていた。近代に入って知
(C編)
近代= 大正末、関東大震
災(一九二三)ごろま
人ニ)
ハミ)
識人たちは大衆の文学がもっていた虚構の有効性に注目し、政治的近
P。
現代 = プロレタリア文
代化の思想を広めようとする1
体系として文学を位置づけようと努力した。こうして、大衆と知識人
日)
を作り出した。また一方で学問の
学·新感覚派以降。
H)
(B説)
近代 = 第二次世界大戦の
終戦(一九四五)まで
現代=第二次世界大戦後
五)
とに分かれていた文学は、交流した形をとることになる。
次に重要なのが外国文学の影響である。鎖国から解き放」
たれた人々の間に、あたかも堰を切ったかのように外国の文学が流入
明治中期の文学
ル)
してきた。それは初期には2
という形で紹介され、次いで文学理
論、実作の面での消化吸収が行われ、「新体詩抄」「小説神髄」などが
明治初期の翻訳文学
『伊普物語」(明六)
イソップ物語
;ャ
D)
試みられ、さらには本格的な近代文学を担う、森鴨外、二葉亭四迷、
あらびや
へ
「暴夜物語」(明八)
.『アラビアンナイト」
「八十日間世界一周」
(明一1)…ベルヌ原
北村透谷らに深い影響を与えている。
1)
こうして知識人に認められた文学が、外国文学から力を得て実質的
1)
に作品化されるとき、対象化されたのが未成熟な日本近代の内実だっ