春の眠りは、誰しも経験があるように、非常に気持ちのよいものです。寒くてつらい、長
かった冬も過ぎ、いよいよ春になったぞという喜びを、「暁を覚えず」、つまり、夜が明けた
のも気づかないぬくぬくとした眠りで表しています。外はいい天気らしく、あちらでもこち
らでも鳥の声が聞こえます。そういえば、ゆうべは「風雨」の音がしていたなあ、と回想し
ます。花はいったいどれほど散ったことやら。 作者は寝
床の中にいて、明るくのどかな気分に浸っているのです。
作者の孟浩然は、故郷の鹿門山に自適の暮らしをして
ろくもん
いました。この詩はその頃のものでしょう。 季節の訪れ
も気づかず、あくせくと過ごす俗人の世界に対して、悠
然と自然に溶け入った世界が歌われています。
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このような、四句から成る漢詩を、絶句といいます。
短い詩型ですから、あれもこれも歌い込むことはできま
せん。そこで、詩人は、ここぞという一点を切り取って
心の高まりや感動を表現します。その工夫の一つが、
「起承転結」という構成法です。
第一句は、歌い起こして、起句といいます。 起句が平凡だと詩は生きません。 「春暁」で
ここち
は、春の眠りの心地よさを、朝になったことに気づかないと表現するところに、詩人の発想
があります。第二句は承句といい、起句を承けてさらに展開します。第三句は転句で、場面
が転換します。「夜」「風雨」という語が暗い雰囲気をかもし出し、前半の明るい情景から一
変します。これが転換の妙味、読者に、おやっと思わせます。 最後は、全体を締めくくる結
旬です。 読者の眼前には、庭一面に散り敷いた花びらが、ぱっと広がります。花びらは雨に
ぬれ、朝日を浴びていよいよ鮮やかです。転句が暗いだけによけい印象が強くなるのです。
そして、それが余韻となって、 春の朝の気分が漂います。見事な収束デ
この構成法は、誰かが考え出したものではなく、
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いにしえの心を訪ねる
163
春の朝
。
2
15 漢
ごん
漢床とこ
ゆか
3 鹿門山
今の湖北省にある。
しちごん
絶句 一句が五文字のものを
言絶句、七文字のものを七言絶
句という。(1ページ「律詩に
ついて」参照)
ショウ
(ギョウ)
日 あかつき
凡ポン
雰フン
どこ
寝床
平俗寝
凡人
平凡
フン
あかつき
暁
V