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世界史 高校生

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9中国の古典文明0 中国文明のはじまり 動 p.65~70 p.18~19 つぎの文の( )に適語を入れ,下線部O~Oについての問いに答えよ。 1 東アジアとは,今日の中国を中心とするユーラシア大陸の東部地域をいう。 前6000年頃までに, 黄 河流域では(1)などの雑穀を中心として、また長江流域では( 2 )を中心として, 粗放な農耕が始 まり、前5千年紀には集落が発生した。黄河中流域では①素焼きの地に文様をほどこした土器を特色 とする文化がみられた。長江中· 下流域では, ②人工的な水田施設をともなう集落遺跡が発見されて いる。前3千年紀には地域間の交流がすすみ、 黄河下流域を中心に, 南は長江中·下流域, 北は遊東 半島にいたる(3)の分布がそれを示している。これは代表的な遺跡の名前から( 4 )文化と呼ばれ ている。交流にともなう集団相互の争いは地域の政治的統合をうながし,黄河中 下流域には城壁で かこまれた都市(邑)が発達し, やがてそれらを統合する③広域的な王朝が成立した。 現在確認されている最古の王朝は股(商)である。 20世紀初めのO段城の発掘により, 大規模な王墓」 と宮殿跡が発見された。段王朝は, ⑤王都である大邑(商)のもとに多くの邑が従属する形で成り立っ た国家であった。股王が直接統治する範囲は限られていたが、 6王は神の祭りをおこない。 また神意 を占って農事·戦争などおもな国事をすべて決定し、 強大な宗教的権威によって多数の邑を支配した。 祭紀用の酒器·食器として, 複雑な文様をもつ(5)がつくられ, さらに①占いの結果を記録するた めの文字が使われた。それが現在の漢字のもとになっている。 殿の支配領域の西部,(6)流域におこった周は,はじめ股に服属していたが, ®前11世紀頃殿を 滅ぼし、(7)に都をおいて華北地方を支配した。周王朝では, ①封土(領地)の分与による統治制度 がもちいられた。このような統治制度のもとでは, 同姓の父系親族集団のまとまりが重要であり, 親 族関係の秩序やそれに応じた祭記のしかたを定めた(8)がつくられた。 そうした分権的な統治体制 をひとつにまとめていたのが、天命をうけた( )と称する周王の権威であった。 問のあ この文化に特徴的な土器を何というか。 この文化の代表的な遺跡をひとつあげよ。 モンゴル高原 黄河 d) 問の 代表的な遺跡をひとつあげよ。 6 その位置を地図中~0から選べ。 問 伝説上の中国最初の王朝は何か。 問の 現在の地名を答えよ。 その位置を地図中~のから選べ。 日本海 東シナ海 太平洋 問6 このような国家組織を何というか。 問6 このような政治体制を何というか。 問の この文字を何というか。 問 儒家思想における王朝交替の理論は何か。 また そのうち武力での政権募奪を何というか。 問O これを何というか。 またのこれをつぎの語句をもちいて説明せよ。 【語句>封土 血縁] 5 4 3 2 11 9 8 7 6 の 6

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世界史 高校生

世界史 インド・東南アジア 【至急】提出する課題です!空欄で出してはいけないのですが答えが分からないところがたくさんあって、教えていただけないでしょうか。 量が多くて申し訳ありません。よろしくお願いします🙇‍♂️

インダス川中流域の(10) 地方を中心に展開したインド最古の文明インダス文明は、 インダス中流域の(1②) や下流域の(1③)が代表的な遺跡である。 バラモン教の根本聖典は(20)人が神々を賛美した賛歌集である。このうちインド 最古で、『アヴェスター』との共通性が見られる聖典が『(2②)』である。 ヴァルナの第2位に位置する階層(3①) は武士·貴族階層で、主に政治·軍事を担 当し、仏教を創始した(3@) やジャイナ教を創始した(3③)の出身階層である。 4 ヴァルナの第3位に位置する階層(4①) は一般農民·商人階層で、主に生産·商業 活動を担当した。また、第4位に位置する階層 (4②) は征服された(4③) 系で、主 に隷属農民として扱われた。 (50)朝の創始者(5②)は、アレクサンドロス大王の侵入に乗じて(5③) 朝を 打倒した。さらにギリシア人勢力を駆逐して西北インド·アフガニスタンを統一した(5 の朝は中国では「華氏城」の名で知られる(5@)に都を置いた。 6 インド統一をほぼ達成した(50)朝第 3代(6①) 王は、(6②) を理想として(6®) を実施し、磨崖碑·石柱碑を残した。王子マヒンダをインド東南部の島(6④) に派遣 1 2 3 5 して仏教を普及させ、 中国では「阿育王」の名で知られる。 (70)から自立したイラン系 (7②) 族は、インダス川中流に位置する (7③)を 都として(72)朝を創始した。この王朝は(7④) 王の時期に全盛期を迎えてローマ帝国 と交易を行った。 8 第(80)回仏典結集で(8②) 信仰をもとに(8③) の救済を目指した仏教の一派 (80)は、中央アジアを経由して中国 朝鮮·日本に伝来して広く信仰された。 バラモン出身の仏教学者 (9①)は中国名で(9②)と呼ばれるが、『中論』 を著して (80)の理論を確立した。 10 (72)朝期、(100) 文化の影響を受けたギリシア的要素の濃い美術 (102) 美術が (73)を中心に流行し、インドで (10③) が制作される契機となった。 11 (72)朝と同時期、 デカン高原で (110) 系の人々が(11②) 朝を創始した。この 王朝は海上貿易で栄えてローマ帝国の金貨が流入する一方、 東南アジアへの仏教数伝播に も貢献した。 12 ビハール地方で台頭して勢力を拡大し、 ガンジス川中流域を征服した (12①) は(5 の)に都を置き(12②) 朝を創始した。最盛期の(12③) の治世で (12④) 文学が 栄えたこの王朝の下では、 仏教学院 (12⑤) も建立された。 その後、(12⑥) の侵入 を受け衰退した。 13(122)朝期、 北インドでは (13①) に各地の民間信仰が融合して (13②) が成立し た。この新宗教は (13③)· (13④) を中心とする多神教で、(1 3⑤) を神聖視し、 『(136)』『(13⑦)』『(13③)』にその教えがまとめられた。 7 9

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