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学習 | イタリア・ドイツ・ロシアではどのよう
ア・ドイツの統一とロシアの近代化 課題 に近代国家形成を展開したのだろうか。
コッパーp.51 次のできごと
ストリアー
リー帝国
ブル
エク
ロシア
オーストリア領
にして残り、「未
回収のイタリ
」とよばれた。
一次世界大
後に併合。
200km
ヤ王国
二王国
2
ツ帝国
小国に分かれていたイタリアでは, ウィーン体制期,
➡p.38
イタリア
しゅしょう
統一運動が青年イタリアを結成し統一運動を展開したが,そ
の後,主導権を握ったのはサルデーニャ王国だった。首相カヴールが外交
努力を進め、ナポレオン3世の援助を受けて統一をはばんできたオースト
リアと戦い,1859年にロンバルディアを獲得した。60年にはサヴォイア
かくとく
へいごう
ゆず
せいふく
とニースをフランスに譲る見返りに中部イタリアを併合した。さらに,青
年イタリア出身のガリバルディがシチリアと南イタリアを征服・併合し、
61年,サルデーニャ王を国王とするイタリア王国が成立した。しかし、エ
業化が進む北部と大地主の支配する南部農村地帯との経済格差が残った。
ドイツでは,統一の主導権をめぐりプロイセンとオー
ビスマルクと
ドイツの統一ストリアが争っていたが, プロイセン首相のビスマルク
1815~98
ふ おう
は議会の反対を無視して軍備を拡張し,普墺(プロイセン-オーストリア) 戦
おそ
争でオーストリアを破った。 プロイセンの強大化を恐れたナポレオン3世
ふふつ
ていこく
は普仏戦争を始めたが敗北し, 1871年、ドイツ帝国が成立した。 ビスマ
➡p.48
1871~1918
だんあつ
い りょう
ルクは、社会主義運動や労働運動を弾圧する一方, 医療保険・労災保険な
➡p.40
どを定めて労働者の不満をなだめ, 急速な経済成長も実現し、帝国を列強
の一員とした。 オーストリアがオーストリア-ハンガリー (二重) 帝国を成
立させると, ビスマルクは、82年にオーストリア・イタリアと三国同盟を
1867~1918
➡p.48
1882~1915 QR
たく
はか
結ぶなど、諸国の対立を巧みに調整しながらドイツの安全を図った。
史料
クリミア戦争と
ロシア大改革
5
19 世紀半ば,南下政策を進めるロシアは黒海から
QR
3
しん
地中海への海路を確保するため, バルカン半島への侵