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質問 大学生・専門学校生・社会人

大学の過去問なんですが答えがないので困ってます。 解答例作ってくれる人いませんよねー😔😔

以下の文章を読み、 各問に答えなさい。 今日世界的に、とくにわが国で、 なぜ、 医療が一部の人々の問題ではなくて、広く社会全体の問題になってきたのであろうか。 また、次 の章で扱う 「脳死と臓器移植」 や 「説明と同意」 (インフォームド・コンセント)をはじめとして、多くの緊急の問題が急に浮かび上がり、 いろいろと議論されながら、 どうして大多数の人々を納得させる答を出せないのであろうか。 まず、世界的な規模でいえば、 近代文明の発展と爛熟にともなって、農業生産力の増大により、 世界の多くの地域で人間が 〈え> ら解放されるようになった。 だから、 人間の生存に必然的にともなう 〈病い〉 が注目されるようになった上、 後発地域においても、WHO(世 界保健機構)などの働きかけによって医療体制が整うに至り、隠れていた多くの病気が顕在化して、社会問題化するようになったのである。 とくにわが国の場合には、一九六〇年代以降の急速な経済発展が、 病いと医療との形態をほとんど一挙に変えるようになった。 より具体 的にいえば、検診や医療知識の普及、それに医療の専門分化・組織化によって医療の中心が大病院に移り、地域の開業医中心の治療の時代 に見られた家庭生活と医療との繋がりが切れて、医療が、設備の高度化とも相まって、 特別のもの、近寄り難いものになった。 併せて社会 の高齢化により、 慢性疾患が増えるとともに、一生をどう終えるかという 〈死> への関心と結びついて、 いへの関心が人々の間で広く 一般化するようになった、と言うことができるだろう。 では、このような医療への関心のなかで、事態を深刻にしている医療の問題点、 つまり 「脳死と臓器移植」 や 「説明と同意」 などの多く の緊急問題の背後に潜む問題点として、いかなるものがあるだろうか。 観点によって、 そこにはいろいろなものが浮かび上がってくるだ ろうが、 <臨床の知〉の観点からとくに重要なものとして、次の二つを挙げることにしたい。 (1) 健康への幻想 (2) 科学的医療への妄信、 (3) 医療の陥穽への無自覚である。 これらは、のちに示すように、まったく別々のものではなく、互いに結びついているが、それぞれ の論点を浮かび上がらせるために、一応分けて考えていくことにする。 すなわち、ここでまず、 <健康への幻想〉という第一の問題は、 〈病気〉をどういうものとして捉えるか、ということにかかわる。 一般に は病気とは、健康でない状態、 健康の正常に対する異常な状態、正に対する負を帯びた状態、あるいは少なくとも、健康から逸脱した状態 として捉えられ、見なされている。 しかし、 このように捉えられるときには、実は <健康> とはなにかがはっきり規定されていなければ用 をなさないのだが、多くの場合、 健康とは逆にただ病気でない状態として捉えられているか、それとも心身ともに健常な状態と見なされて いるにすぎない。 ちなみに、 WHO によると、 健康は次のように定義されている。 《健康とは、単に病気や虚弱の欠如ということではなく、 身体的、精神 的かつ社会的に見て完全に良好な状態のことである。〉 (一九四七年) この定義は、たしかに目配りがよく、 一見行き届いているように見え るが、右の〈心身ともに健常な状態>というのと X であり、かえって、これまでの発想によって健康を定義することがいかに難しい か、を示している。 以上のような見方に対して、私自身の病気と健康についての見方を提出することにしようと思うが、まず、こういうところから考えてい こう。 一般にひとは、健康なときには自分の身体のことも健康のことも意識しない。 それを意識するのは、身体の不調なとき、〈病気〉に なったときである。 したがって、現在のように社会生活において <健康> がことさらに強調されるのは、なによりも、病気への対し方が 人々にわからなくなって、 病気をただ怖れる気持がつよいからであろう。 人間というのは、きわめて複雑な仕組みをもった生命有機体であり、精神 身体的な存在である。 だから、その働きに故障が起き、不調 に悩まされるようなことは、いつの時代にもあったし、いつでも病気は怖れられた。 しかし、だからといって、 そのことは、病いをただ、 無意味なもの、あるべからざるものとして、否定したことを意味しない。 病気のために生命の危機感に見舞われることによって、深い生命 に目覚めることは、 多くの人々に見られたところである。 とくに、 内部的生命に敏感な作家や芸術家たちの場合に、それがよく示されているが、なかでも、そのような深い生命の日覚めそのもの を小説化したものとして知られているのは、トマス・マンの 「魔の山」である。 ここで 〈魔の山〉 というのは、スイスの高原にある結核療 養所のことであり、 市民生活から隔離されたおそろしげな場所と見なされている。 ある夏の日に、一人の青年ハンスが、ここに療養中の従 兄を見舞いにやってくる。ところが、 彼も病魔に犯されて入院生活を送るようになり、 しかも彼は、 病気の世界にまったく魅せられてしま う。 というのも、これまで平凡で〈健康な市民〉として生きてきた彼が、そこではじめて見出したのは、病いによるYであったからであ る。 「魔の山」 の作中人物の一人は、こう言っている。 《人間の尊厳性と高貴性は精神に、 病気にあるのであって、 一言でいうと、 人間は病

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詳しく教えてください

12 次の説明を読み、各問いに答えなさい。 S T Uの3つの県の人口密度(1km² あたりの人口)を右の表に示した。 それぞれの県の面積比は S: T: U = 2:3:2 である。 241k (1) 次の推論の正誤について、 正しく述べているものはどれか。 ア U県の人口はT県の人口より多い V > T イ S県と県を合わせた地域の人口密度は241である A アもイも正しい B アは正しいがイはどちらともいえない C アは正しいがイは誤り D アはどちらともいえないがイは正しい E アもイもどちらともいえない F Gアは誤りだがイは正しい Hアは誤りだがイはどちらともいえない 1 アもイも誤り アはどちらともいえないがイは誤り G H 県 S T U A カもキも正しい B カは正しいがキはどちらともいえない C カは正しいがキは誤り D カはどちらともいえないがキは正しい Eカもキもどちらともいえない F カはどちらともいえないがキは誤り カは誤りだがキは正しい カは誤りだがキはどちらともいえない もキも誤り (2) 次の推論の正誤について、 正しく述べているものはどれか。 カS県の人口とT県の人口を合わせるとU県の人口の2.5倍になる キ T県とU県を合わせた地域の人口密度はS県の人口密度に等しい 人口密度 272 136 210 2 3 2

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小論文の添削お願いします

No. Date 近年グローバル化や少子高齢化が進んでいる。また世界には ●障害を持った体を十分に動かせない方もいる。そのためすべて の人に同じ対応をしていても十分に満足できない人もいる。そ のような状態になることで普段とは違う状況にストレスを感じ てしまうだろう。そのため安心して生活するためには不自由な く生活できる環境が必要なのではないだろうか。 近年ではグローバル化が進んでおり、日本に住む外国人も増 えてきた。日本語を日常的に使える程話せたり、読み書きを出 来る方もいるがそうでない方も多くいる。私が京都に修学旅行 に行った時に観光をしている外国に英語でインタビューをする という課題があったのだが、私の知らない言いまわしなどがいく つかあった。つまり言葉が通じないというだけで十分にストレ スにつながってしまうのではないだろうか。次いで少子高齢化 ○についても考えていこうと思う。少子高齢化も近年では問題視 されていることだが、一般的に高齢者は若ものに比べ体が弱く ○人で出来る事も少なくなってしまうだろう。私のおばあちゃん C は元気な方ではあるが牛乳や米など重いものを買う時は私に手 伝いをお願いしている。また、障害を持った方なども一人で出 ○来ない事などがあるだろう。そこでそのような人達でも生活し やすい環境が必要だと考える。 すべての方が不自由なく生活するために私は二つの方法を考 ○えた。まず一つ目はバリアフリーな施設である。外国の方は白 本人に比べ体の大きい人が多い。そのため天井を少し高くした り、風呂を広くすると良いだろう。また、高齢者や車イスを使 う方などは段差があると大変なので階段ではなくスロープを作っ たり、車イスのまま移動が出来る空間造りが必要だと思う。二つ ●目はユニバーサイデザインを使用する事である。日本語の文字 O を読む事が出来ない外国人や小さなお子様でも分かりやすい フクトグラムなどを使用することで不慣れな環境でも生活しやす ○いだろう。 以上の点から避難した人々が不安なく安全に生活するために は一人一人に合った不自由がなく生活できる環境が必要である。 KOKUYO LOOSE-LEAF ノ-836BT 6mm ruled x36 lines

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