World history
SMA
Terselesaikan

答えはエです!ほかの選択肢が何が違うか教えてください

6世紀後半になると、( ⑩ ) によって南北朝は統一され、階を建国する。 彼は、中央集権化を はかるため、。制度改革に着手した。その後、2 代目 ( ⑫ ) の時には、 大陸の南北を貫く大通計 の整備や積李的な 対外政策を実施するも、各地で反乱がおこ り衰退してしまう。 次におこった唐の 時代になると、 律令体制のもとで 税制や兵制を整備し人々を支配した。また、 すこの時代の文化で は東机交易を背景に国際色豊かな時代でもあり、日本からゃ使節を派遣している。しかし 7 世紀以隆 に支配体制動揺がおきる。 世紀に最大期を迎える$、 節度使の反乱によって体制を大きく変人 させた。 そして 110世紀の反乱をきっかけに滅ぼされてしまう。
問4 下線部<について、正しい説明のものを以下のアーエより選択し ア、この時の兵制は、兵士を募集で集め給料を支払う形態であった。 この時の税制は、資産の多に応じて課せられるものであった。 この時の兵制は、軍隊の指揮官に節度使が配置された。 ことの時の税制は、帝物や布、労役といった内容を負担した。 記号で答えなさい。 ィ、 ウ、 エ、

Answers

✨ Jawaban Terbaik ✨

アの募兵制
ウの節度使
は6代目皇帝玄宗の時に始まったもので

イの両税法は9代皇帝の時に始めたものでした。

エの租庸調は唐の最初の頃の話なのでokです。

7世紀 8世紀
兵制 府兵制 →募兵制
税制 租庸調 →両税法

こんな感じで

莉子

丁寧にありがとうございます!

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Answers

基本的にはたにたさんの回答で良いのですが
少し付け足しということで
まず租庸調制は唐でも行われていますが隋から始まったということで今回の回答になっています
その他は全て唐から始まったもの(募兵制・両税法)で、節度使というのは募兵制で集まった傭兵達の指揮官のことです

莉子

ありがとうございます!!

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