✨ Jawaban Terbaik ✨
史実は色々ありますので、教科書を基準にしたらの話ですが………
足利尊氏は確かに後醍醐天皇と共に鎌倉幕府を滅亡させたのですが、そのあとに後醍醐天皇がとった建武の新政(後醍醐天皇の政治)が尊氏には気に入らなかったので、後醍醐天皇に反抗するようになったんです。
建武の新政は天皇中心!天皇絶対!の政治で、武士の社会の慣習を無視していたため、武士の不満を買いました。そのせいで色々ごちゃごちゃしちゃったんですよね。二条河原落書にそのヤバさが書かれているのが有名です。
尊氏は気に入らなかったからなんですね!
スッキリしました!!