Japanese classics
SMA

今能『安宅』と歌舞伎『勧進帳』の比較分析を行っているのですが、相違点を見出し、江戸時代の判官贔屓の観点を交えながら安宅から勧進帳においての変化を述べようと思っています。歌舞伎初心者でどのように論を進めていけばいいのか行き詰まっている状態です。どうかアドバイスをください😭😭

今こんな感じで書いてます😭
能『安宅』においては、義経のセリフは主にシテ=弁慶との会話の中で現れる。
義経 いかに弁慶
シテ 御前に候
義経 ただ今旅人の申して通りつる事を聞いてあるか
シテ いや何とも承らず候
義経 安宅の湊に新関を立てて、山伏を堅く択むとこ申しつれ
この場面では、義経が弁慶に外の情報を伝えて状況を確認し、弁慶はそれに応答するという、義経と弁慶における簡潔で形式的なやりとりが描かれている。
一方、歌舞伎『勧進帳』においては次のような場面が見られる。
義経 いかに弁慶道々も申すごとく、各行く先々に関所あっては所詮・・・弁慶が詞に従ひ、強力とは姿を替へたり。面々計らう旨ありや
この場面ではすでに義経は弁慶の助言を受け入れ、変装して安宅の関を通ろうとする決断を下している。弁慶の助言は義経の会話で直接発せられることはないが、義経は弁慶でなく連れの者に意見を求める描写となっていおり、鑑賞者側は、義経が弁慶の助言に基づいて主体的に行動する意向を固めたことを読み取ることができる。そのため、歌舞伎『勧進帳』における義経は弁慶の助言を受けながらも自ら行動する主体的な弁慶の助言を元に義経は行動しているものの、主体的に動いている。一方、能『安宅』では弁慶「これは一大事の御事にて候間、皆々心中の通りを御意見申しあらうずるにて候」と述べ、弁慶が連れの者に意見を求めている場面が描かれる。連れの者の意見はただ安宅の関を打ち破って通るだけだという意見であった。ここでの弁慶は判断を決める主導権を握っており、義経は受動的に描かれており、能『安宅』に対して義経の行動が異なることが分析できる。
そして次に能『安宅』では安宅の関をどのような戦略で打開していくのかが描かれる。
安宅の関を打ち破って通るのみだと述べる連れの意見を踏まえ、再び弁慶と義経の会話が交わされる。
弁慶 仰せの如くこの関一所打ち破って御通りあらうずるは易き事にて候へども・・・行末が御大事にて候、ただ何ともして無為の儀が然るべからうずると存じ候
関所を打破し、通る事は簡単な事であると述べているものの、関所には冨樫の某が家臣に関の警備を命じています。どうかして無益な事にならないようにと弁慶が願うような感情を示す場面です。
義経 ともかくも弁慶計らい候へ
義経は何はともあれ弁慶の考えで取り計らってもらうよう命じています。

山伏問答における特徴をそれぞれ整理します
能 安宅では勧進帳読み上げの際に連れ八人が弁慶を真ん中にして連れがその後ろにV字型に列をなし舞台中央に並び、読み始める際には正面を向いていた連れが弁慶の読む勧進帳の方に体を向けている。
一方舞台端にいる冨樫は途中から弁慶の方に距離を詰めるため弁慶が少し勧進帳を傾けるが冨樫は再び正面を向いている。
歌舞伎 勧進帳においては一人で勧進帳を読み、読み始めたとともに冨樫が弁慶に対し距離を詰め、そして弁慶が勧進帳を隠すように勧進帳を下ろした。そして弁慶は冨樫の方へ体を斜めに向け、勧進帳を再び読み始める。
能『安宅』における勧進帳の読み上げは、弁慶と八人の連れによる九人の一行に対し、冨樫が一人で応対する形で行われている。そのため、場面全体としては冨樫の立場が弱く見え、弁慶一行の迫力が強く感じられる。一方で、歌舞伎『勧進帳』では、弁慶と冨樫が向かい合って一対一で読み上げを行うため、能『安宅』で見られたような立場の差はあまり感じられず、二人の緊張感がより直接的に伝わってくるように感じた。また、能『安宅』では冨樫が弁慶に詰め寄る場面で、弁慶は勧進帳を少し傾けるだけの控えめな動きを見せるのに対し、歌舞伎『勧進帳』では冨樫の詰め寄りに合わせて勢いよく勧進帳を下ろし、さらに冨樫に体を向けて真正面から向き合う姿が見られる。
関所通過のこの場面では関所の様子も描写されている
能『安宅』では一行が関に行く前に強力が関の様体を見に行っており、主に見張りの役割を果たす(https://shirobito.jp/article/719)櫓、垣、楯をあげ先を尖らせた杭を地面に突き刺し、杭と杭を縄で繋いだ乱杭、(https://shirobito.jp/article/710)枝のついた倒木をいくつも並べたバリケードである逆茂木( https://shirobito.jp/article/710)を隙なく打ってあり、辺りを見れば山伏の首がたくさんかけてあったと述べている。
一方歌舞伎『勧進帳』では物語最初の冨樫登場の後に番卒の発言によって関の様子を読みとる事ができる。
桶田 幸知香は番卒は「仰せのごとく」と言い関の様子を語っていることから、冨樫の命令であることを示した上で、冨樫の意向を関所側の視点で明確に表し、手強い敵としての冨樫というイメージを付けていると分析している。さらに義経一行を通す際の冨樫の台詞も能『安宅』と歌舞伎『勧進帳』で異なる。
能 安宅
近頃誤り申して候ふはやはやおん通り候へ
「(中略)番卒どものよしなき僻目により、判官どのにもなき人を疑へばこそ、かく折檻も仕給ふなれ。今は疑ひ晴れ申した。とくとく誘ひ通られよ」
歌舞伎『勧進帳』では、番卒たちの疑いを冨樫が責任を持って詫びるとともに、判官どのにもなき人と断言している。また、疑ひ晴れ申したということは、疑いが今まであったことが明示されている。

鳥居フミ子氏は飯塚氏の考える安宅と勧進帳間の冨樫の変化を挙げ、江戸時代には«安宅»の注釈に、冨樫は義経一行と気づきながら怖れて見逃したという説を取り入れた解釈が見られるようになったとされている。
歌舞伎 勧進帳では勧進帳読み上げの後に「勧進帳聴聞の上は、疑ひはあるべからず」と述べていているものの、事のついでに問い申さんと、山伏の威厳あるいかめしい姿修行について、理由を問うている場面から冨樫は言葉上疑いはないと述べてはいるもののまだ一行への疑いが完全には晴らせていないように感じられる。そして弁慶と冨樫の山伏についての問答が行われる。その山伏問答の後に冨樫は「かかる尊き客僧を、暫しも疑ひ申せしは眼あつて無きが如き我が不念」と述べていることから、勧進帳読み上げから山伏問答を受け一行の疑いから疑ったことへの自責に変容していくのである。だが、さらにその後に強力に扮した義経が見咎められる。能安宅では冨樫は勧進帳を弁慶に読ませた後に一行を通している。

さらに義経一行を通す際の冨樫の台詞も能『安宅』と歌舞伎『勧進帳』で異なる。
能 安宅
近頃誤り申して候ふはやはやおん通り候へ
「(中略)番卒どものよしなき僻目により、判官どのにもなき人を疑へばこそ、かく折檻も仕給ふなれ。今は疑ひ晴れ申した。とくとく誘ひ通られよ」
歌舞伎『勧進帳』では、番卒たちの疑いを冨樫が責任を持って詫びるとともに、判官どのにもなき人と断言している。また、疑ひ晴れ申したということは、疑いが今まであったことが明示されている。
鳥居フミ子氏は飯塚氏の考える安宅と勧進帳間の冨樫の変化を挙げ、江戸時代には«安宅»の注釈に、冨樫は義経一行と気づきながら怖れて見逃したという説を取り入れた解釈が見られるようになったとされている。ネットを調べてもこの回答が多かったのはこのせいだったのか。
義経一行と気づいている場面や台詞はどれなのか。私は該当するものが見つからず、かなり感情移入した解釈なのではあるまいかと感じた。
歌舞伎 勧進帳では「勧進帳聴聞の上は、疑ひはあるべからず」と述べていているものの、事のついでに問い申さんと、山伏の威厳あるいかめしい姿修行について、理由を問うている場面から冨樫は言葉上疑いはないと述べてはいるもののまだ一行への疑いが完全には晴らせていないように感じられる。そして弁慶と冨樫の山伏についての問答が行われる。その山伏問答の後に冨樫は「かかる尊き客僧を、暫しも疑ひ申せしは眼あつて無きが如き我が不念」と述べていることから、勧進帳読み上げから山伏問答を受け一行の疑いから疑ったことへの自責に変容していくのである。だが、さらにその後に強力に扮した義経が見咎められる。能安宅では冨樫は勧進帳を弁慶に読ませた後に一行を通している。
能『安宅』では強力姿の義経を見咎hたことを詫びるため、まず冨樫の従者が冨樫の命令として関所での無礼を詫びる酒を携えてやってくる事を伝え、その後に冨樫本人が登場する。弁慶は「げにげにこれも心得たり、人の情けの盃に、うけて心をとらんとや、これに就きてもなほなぼ人に心なくれそ呉織」と述べ、いかにも好意にあふれた盃で機嫌を取ろうとしているのだと、なお富樫のことを警戒していることが伺える。
地謡では、
怪しめらるな面々と、弁慶に諌められて、この山陰の一宿りに、さらりと円居して、所も山路の菊の酒を飲まうよ
疑われるような振る舞いをするなと弁慶に戒められた一行が富樫山陰に座し、菊の酒を酌み交わす光景が暗示されている。実際に酒宴の場面はなく、地謡によってそれが示唆されるのみである。
その後、弁慶は扇を広げて富樫に酌をし、舞を舞う。
一方歌舞伎『勧進帳』では冨樫が直接登場し、より具体的で豪快な酒宴の場面が描かれる。冨樫の番卒が注いだ酒をまず冨樫が一杯飲んだ後、弁慶の左右から酌をなす。それでも足りないと感じた弁慶は葛桶に目をつけ、そこに酒を注がせて大きな器で酒を飲む豪快さが強調されている。さらに酒を求めた弁慶は番卒に拒まれると、自ら瓢箪を取り上げて酒を注ぐ。その様子は僧兵であるものの力強く豪胆な弁慶が印象づけられており、能『安宅』における弁慶とは対照的な姿が描かれている。
しかし、今まで述べてきたように歌舞伎勧進帳では主題にもなっている勧進帳読み上げの場面が中心となっている物語構成であり、さらには物語終盤で冨樫が疑いを掛けたことを詫びて酒を飲む場面では 弁慶の堂々さが全面に出ており、もはや義経への献身的な熱情は感じられない。
能「安宅」の台詞では冨樫の意図を読み解くことが困難になっているとともに冨樫の行動は全て弁慶に向けられている。このことについて「安宅」の冨樫はシテを引き立てる行為以外の無駄なことは一切していないと述べている。一方で、歌舞伎「勧進帳」では冒頭では義経一行を捉えることに積極的な姿勢を見せたり、勧進帳読み上げ後に山伏問答をしかけるなどの敵としての手強さも示されていて、さらには弁慶が義経を打つ際冨樫が止める場面の台詞が追加されたことにより、分析が多様化しこのような解釈が生まれたのだと考えられる。

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