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これを理解するには中世の価値観を理解しないといけません。
現代でもし貴方が友人に借用書を書いた上でお金を貸し、それが期日までに返ってこなかった場合、最悪裁判所で裁判をして、裁判に勝てば返ってきます。(めっちゃ手間がかかるが)
しかし中世社会においてそんな都合のいいことはありません。公家は力を失い、室町将軍家も民衆支配という点に目を向ければ全くの無力と言っていいものです。幕府が精々やることと言えば、関所を作って民衆から金を巻き上げることと、あらゆる税金を設定して金を巻き上げることぐらいです。(室町時代の一揆では度々関所の廃止が要求されています)
こうした背景から、農民たちは自分たちで秩序を作り上げ、自分たちでそれを守る、自力救済が必要なのです。なので生活が苦しくなると借金の帳消しを求めて徒党を組んで暴れ回るということをやるのです。これが土一揆です。
無論彼等一揆勢の中には、どさくさに紛れて盗賊まがいな事をしたりするような連中もいたでしょうが、彼等の根本の目的は自力救済です。
右の文章だけだと、まるで盗賊行為だけが行われたかのようなイメージを持ちますが、本来の文章はもう少し詳しく記されています。以下大乗院尋尊という人物が記した当時の日記です。

「正長元年九月日、一天下の土民蜂起す。徳政と号し、酒屋土倉寺院等を破却せしめ、雑物等ほしいままにこれを取り、借銭等悉く之を破る。管領これを成敗す。日本国開闢以来、土民蜂起これ初めなり」

特にこの一気の起こる正長元年の前年は作物が不作で、餓死者が多く出て、その上で「三日病」なる謎の病が流行し「人民多く死亡、骸諸国に充満す」とまで言われるほど死者が出たとされています。
そんな状態でも幕府は何か民衆に対して救済措置を行うことは当然なく、その結果借金の帳消しを求めて、当時金貸しをしていた土倉・酒屋・寺院などを襲ったこの事件が正長の土一揆です。

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