「諦念(ていねん)」は漢字の見た目から「諦め(あきらめ)」と混同されがちですが、実は仏教由来の深い意味を持つ言葉です。
「諦念(ていねん)」の意味とは?
あなたの本にある「道理をわきまえて悟る心」というのは、かなり本質的な説明です。これをもう少しかみくだいて言うと:
【わかりやすく言うと】
「どうしようもないことを、しっかりと受け止め、納得し、静かに受け入れる心の状態」
語源から考える
• **「諦」**=仏教語で「真理・道理を見きわめること」
(諦めるの「諦」も、もとは「明らかに見る」という意味)
• **「念」**=心に思うこと、意識、想い
▶ つまり、「諦念」とは
真理・道理を深く理解し、それを心に受け入れること
現代語での使い方・意味の広がり
現代では、「あきらめ(=希望を捨てる)」に近い使い方をされることもありますが、本来の「諦念」はただのネガティブな「諦め」とは違います。
具体的にどんな感じ?
例1
ある人が病気で手術をしても治らないとわかったとき
「苦しいけれど、これが自分の運命なのだと諦念の境地に達した。」
→ 悲しみや怒りを乗り越え、静かに現実を受け入れている様子。
例2
努力してもどうしても叶わない夢があったとき
「彼はその夢を追うことをやめ、諦念の表情を浮かべていた。」
→ やけにならず、ただ静かに「仕方ない」と納得している姿。
仏教的な背景も少し
仏教では、人生には「苦(思い通りにならないこと)」があると説きます。
その「苦」を無理に否定せず、「これが道理」として受け入れるのが「諦念」です。
つまり、「逃げ」ではなく、「悟り」に近い心の持ち方です。