✨ Jawaban Terbaik ✨
南北戦争で北部と南部が争った原因はいくつもあって奴隷制だけではないのですが、奴隷制だけにしぼって話をしますね。
おっしゃるように奴隷制に反対したのは北部で合ってますよ。リンカーンが指導したのはその北部です。
南部は農業メイン。広大な農場の労働力として奴隷は欠かせない!っていう考えです。貿易も自由にやろう!っていう自由貿易を推すスタイル。
一方北部は工業メイン。とは言えイギリスなど外国に比べてはまだまだ未熟だったので、外国からの輸入ものに負けてしまう危険性がありました。だから自由貿易だと負けてしまう=国の壊滅、という観点から輸入ものには関税をかけて国内の産業を保護する保護貿易を推すスタイルでした。
ちょっと話がそれてしまいましたが、そんな感じで外国に負けない工業の母体を早く作らないとならなかったアメリカ(北部)は、「奴隷制はモチベが上がらない」→「発展はない」と考えました。目的をもって働いている人なら、それこそ資本主義通りほかと競ったりしてスキルが上がって効率も良くなっていくものです。でも奴隷制のように「無理やり働かされている」状態にそれは望めませんよね。
そしてもし奴隷が解放されたら、彼らには工場で働いてもらえるかも!とも考えました。もちろん奴隷ではなくなるので「働きたい」人だけです。
さらに「働いて自立して一人前の人間」というような考えも生まれはじめ、北部と南部の奴隷や産業に対する考え方は全く逆の方向に向いていたのでした!
詳しい説明ありがとうございます😊