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ローマ帝国 神聖ローマ帝国 ビザンツ帝国 西ローマ帝国 東ローマ帝国 の関係性?違いを教えてください

世界史 神聖ローマ 西ローマ 東ローマ ビザンツ帝国

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まずヨーロッパにおける帝国とは何かを知った方が良さそうなのでそれについて記述していきます。
ヨーロッパにおける帝国とは簡単にいうとキリスト教の
保護者が王様をやっている国のことです。つまりキリスト教の教皇からの戴冠などによって権威づけられた国を指します。上記以外ではロシア帝国が挙げられるでしょう。

それでは本題に入っていきます
一番最初にできたのはローマ帝国です
この国は392年にキリスト教を国教化します。
もちろんその前から帝国ではありましたがこれが原因でキリスト教の保護者たる王の国が帝国と名乗ります。
日本史で言えば坂上田村麻呂は征夷大将軍でした。
これは名前の通り夷を討伐する将軍だったわけです。
しかし源頼朝が征夷大将軍を名乗ります。これによって
征夷大将軍は幕府を開いた人々が名乗るようになります。このように元々の帝国の意味に付加価値がついたわけです。
これが異民族の侵入などにより国が分断されます
その時にできたのが西ローマ帝国とビザンツ帝国
(東ローマ帝国)←ビザンツ帝国とはこれの別名です
首都がコンスタンティノープルという場だったのですが
その前の名前がビザンティンという名前だったので
そこからきてます。日本で言えば日本のことを江戸帝国
と呼んでいるようなものです。東ローマ帝国(476年)は異民族(ゲルマン民族)によって滅ぼされ
ビザンツ帝国(1453年)はイスラム勢力によって滅ぼされました。

955年にオットーというドイツの王様がいたのですが
彼がマジャール人というアジア系の異民族をボコボコにしました。
このことによって教皇に戴冠されます(962年)。
理由としてはキリスト教信者でない異民族を追い払ったからですね。この戴冠によってキリスト教の保護者となったわけです。そうしたら帝国とつけられるようになります。ですから帝国と名前を付けたわけです。この当時ビザンツ帝国は存在していましたがトルコでしたから
かなり距離があります。そのため当時の人は帝国としか呼んでいなかったそうです。また帝国といえばローマ帝国が一番に思い浮かぶような時期でした。なぜならローマ帝国以外の帝国がヨーロッパに存在したことなどなかったからです。そのため帝国=ローマ帝国という価値観が当時の人にあったらしくドイツに存在するのに
神聖ローマ帝国と名付けてしまったそうです。
神聖というのは教皇に戴冠されていますから
教皇公認=神聖
ということです。

まとめると
ローマ帝国が最初に存在し分かれたのが西ローマ帝国と東ローマ帝国(ビザンツ帝国)であって直接は関係ないものの教皇の戴冠を受けた為ローマ帝国と名乗ったのが
神聖ローマ帝国となります。

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ChatGPT の引用です

以下に、ローマ帝国、神聖ローマ帝国、ビザンツ帝国、西ローマ帝国、東ローマ帝国の関係性と違いについて説明します。

### 1. ローマ帝国 (Roman Empire)
- **概要**: 紀元前27年から紀元後476年まで続いた古代ローマの帝国。イタリア半島から始まり、地中海全域に広がった。
- **統治体制**: 初代皇帝アウグストゥスの治世から始まり、共和制から帝政に移行。
- **分裂**: 395年、テオドシウス1世の死後、帝国は東西に分割された。

### 2. 西ローマ帝国 (Western Roman Empire)
- **概要**: ローマ帝国が分裂した後の西半分。首都はラヴェンナ(後にミラノやローマ)。
- **期間**: 395年から476年まで。
- **滅亡**: ゲルマン人の侵入や内部の混乱により、476年に最後の皇帝ロムルス・アウグストゥルスが退位し、オドアケルによって滅亡。

### 3. 東ローマ帝国(ビザンツ帝国) (Eastern Roman Empire / Byzantine Empire)
- **概要**: ローマ帝国が分裂した後の東半分。首都はコンスタンティノープル(現イスタンブール)。
- **期間**: 395年から1453年まで。
- **文化**: ギリシャ語を公用語とし、東方正教会を信仰の中心に据えた。
- **滅亡**: オスマン帝国によるコンスタンティノープルの陥落により滅亡。

### 4. ビザンツ帝国 (Byzantine Empire)
- **概要**: 東ローマ帝国の別名。特に、ローマ帝国の西部が滅亡した後に残った東部の帝国を指す。
- **文化**: ギリシャ文化の影響が強く、キリスト教の東方正教会が主導。
- **経済**: 経済的には非常に強力で、長い期間にわたって地中海世界の商業の中心であった。

### 5. 神聖ローマ帝国 (Holy Roman Empire)
- **概要**: 800年にカール大帝(シャルルマーニュ)がローマ皇帝として戴冠されてから、1806年にフランツ2世が退位するまで続いた中世ヨーロッパの帝国。ドイツを中心に広がっていた。
- **統治体制**: 皇帝は選帝侯によって選出され、形式的にはローマ帝国の後継を自称したが、実質的には多くの領邦に分かれていた。
- **文化**: カトリック教会と深い関係を持ち、西ヨーロッパにおける宗教的、政治的権威の中心であった。

### まとめ
- **ローマ帝国**: 古代の統一された帝国。
- **西ローマ帝国**: ローマ帝国が分裂した後の西半分、476年に滅亡。
- **東ローマ帝国(ビザンツ帝国)**: ローマ帝国が分裂した後の東半分、1453年まで続く。
- **ビザンツ帝国**: 東ローマ帝国の別名。
- **神聖ローマ帝国**: 中世ヨーロッパにおけるドイツを中心とした帝国で、形式的にはローマ帝国の後継を自称。

それぞれの帝国は地理的、文化的、政治的に異なる特徴を持っていますが、いずれもローマ帝国の影響を受けている点が共通しています。

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