ごめんなさい自分もあなたと同じ高校生なのですが、多分会話調であれば、例えば
子曰く何とかすることなかれ〜
何とか返して曰くそうだそうだ〜
見たいな、感じだと思います。
こういう話好きなんで長文気にしないでくださいー。
確かに 勿れ は禁止を意味しますが、私がこの場で伝えたかったのは次の文に 何とか曰く の何とかっていう部分でまた別の人が出てきているから、そこから推測してここまでが孔子の話なんだって考えられるよね?ってことです。
めちゃめちゃがっつりした反例が来てびっくりしていますが、読んでみると 孔子曰く っていう部分で孔子が話始めたことが判断できて、請問之 っていうところから請?っていう人が孔子の意見に対して疑問を示してその次で 曰く って出てきてるので孔子の話は終わり請みたいな人が疑問を言っているんだな、すなわち主語変わったなって判断できませんか?
さらなる長文になってしまい申し訳ないですー
昨日あげた例は、子張という人物(孔子の弟子)と孔子の会話です。
“請問之。”の部分は、“これを請い問う。”と読みます。請うは乞うと似た意味で、“教えを請う”などと使います。
よって、ざっくり意味をとると以下のようになります。
子張は孔子に仁について聞いた。孔子は、「5つの徳を世で生かせることを、仁という。」と言った。子張は、5つの徳について聞いた。孔子は、「それは、恭しさ・寛容さ・信心さ・勤勉さ・情け深さだ。恭しさがあれば、〜。寛容さがあれば〜。(以下略)」と言った。
Kakeさんが仰るように、“曰く”がたくさん出てくる文や主語が明記されている文は文脈を取りやすいですが、上記の例以上に主語が省略されている文章もたくさん存在しますよね?
また、会話から突然地の文に切り替わる文や、筆者の意見が各所に挿入された文も多々存在しますよね?
そのような文のような場合、会話が終わっているのか否かの判別が難しくないですか…?
非常に有名な文章で恐縮ですが、セリフからいきなり地の文に変わる例を挙げてみます。
本文の場合は“虎”という主語が明記されているため非常に分かりやすいですが、もしこの主語が省略されていたら、非常に読解困難な文章へと様変わりしませんか…?
虎求百獣而食之、得狐。狐曰、子無敢食我也。天帝使我長百獣。今子食我、是逆天帝命也。子以我為不信、吾為子先行。子随我後観。百獣之見我、而敢不走乎。虎以為然。故遂与之行。獣見之皆走。虎不知獣畏己而走也。以為畏狐也。
確かに難読なものになりそうですね…。
あとは、多分話の流れから誰が主語か把握できそうじゃないですか?先の孔子の解説ありがとうございました。その文でもやはり話の流れから子張が孔子に教えを請い求めたって把握できそうですね。
私の学が無いのが露呈しちゃって申し訳ないですね。もし、この後TKMさんの質問に他の人が回答しない事があったら、大学で研究してみるのもいいかもしれませんね。
結局文脈判断になってしまうのですかね、、
だとすれば、それを日常的に使いこなしていた古代中国人は凄いですね…
(慣れだったりするのかな…笑)
僕は理系で工学部志望なので、残念ながら大学で研究出来る機会は訪れなそうです泣
代わりに文学部等に進学した友人に研究して貰います…!笑笑
言語系はかなり文脈把握に頼る所ありますからね…。それは古文でも漢文でも現代文でも。
工学部ですか!いいですね、何かかっこいい開発待ってます。
自分は文学部行くつもりなんですけど、研究したいのは古文なので、機会があったら漢文の方にも手を出してみようと思います!
有意義な会話でした。ありがとうございました!
ご返信ありがとうございます!
"勿れ"は禁止を表す語なので、確かに会話文の文末で使われることが多いですよね!
しかし、以下の文のような場合、送り仮名が併記されていなければ、一語一句丁寧に読み進めないと文意を見失いそうになりませんか…?
子張問仁於孔子。孔子曰、能行五者汚天下為仁矣。請問之。曰、恭寛信敏恵。恭則不侮、寛則得衆、信則人任焉、敏則有功、恵則足以使人。
以下の"勿れ"を用いた例から分かるように、"曰く"の直後の"。"が会話文末というわけではないので…
子曰、其恕乎。己所不欲、勿施於人。
(長文の返信になってしまい申し訳ありません💦)