Contemporary writings
SMA

この現代文の問題を教えてください

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DELUC 四 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。(B) 見えない人が「見て」いる空間と、見える人が目でとらえている空間。それがどのように違うのかは、一緒に時間を過ごす中で、ふとした 瞬間に明らかになるものです。 たとえば、 *注木下路徳さんと一緒に歩いているとき。その日、私と木下さんは私の勤務先である東京工業大学大岡山キャンパスの私の研 究室でインタビューを行うことになっていました。 私と木下さんはまず大岡山駅の改札で待ち合わせて、交差点をわたってすぐの大学正門を抜け、私の研究室がある西9号館に向かって歩き はじめました。その途中、一五メートルほどの緩やかな坂道を下っていたときです。木下さんが言いました。 「大岡山はやっぱり山で、いま その斜面をおりているんですね」。 私はそれを聞いて、かなりびっくりしてしまいました。 ①なぜなら木下さんが、そこを「山の斜面」だと言ったからです。毎日のようにそ こを行き来していましたが、私にとってはそれはただの「坂道」でしかありませんでした。 つまり私にとってそれは、大岡山駅という「出発点」と、西9号館という「目的地」をつなぐ道順の一部でしかなく、曲がってしまえばも り忘れてしまうような、空間的にも意味的にも他の空間や道から分節化された「部分」でしかなかった。それに対して木下さんが口にしたの は、もっと俯瞰(ふかん)的で空間全体をとらえるイメージでした。 確かに言われてみれば、木下さんの言う通り、大岡山の南半分は駅の改札を「頂上」とするお椀(わん)をふせたような地形をしており、西 9号館はその「ふもと」に位置しています。その頂上からふもとに向かう斜面を、私たちは下っていました。 けれども、見える人にとって、そのような俯瞰的で三次元的なイメージを持つことはきわめて難しいことです。坂道の両側には、サークル 勧誘の立て看板が立ち並んでいます。 学校だから、知った顔とすれ違うかもしれません。前方には混雑した学食の入り口が見えます。目に飛 び込んでくるさまざまな情報が、見える人の意識を奪っていくのです。あるいはそれらをすべてシャットアウトしてスマホの画面に視線を落 とすか。そこを通る通行人には、自分がどんな地形のどのあたりを歩いているかなんて、想像する余裕はありません。 そう、私たちはまさに「通行人」なのだとそのとき思いました。 「通るべき場所」として定められ、方向性を持つ「道」に、いわば②ベル り開放的なものに思えます。 トコンベアのように運ばれている存在。それに比べて、まるでスキーヤーのように広い平面の上に自分で線を引く木下さんのイメージは、よ 物理的には同じ場所に立っていたのだとしても、その場所に与える意味次第では全く異なる経験をしていることになる。それが、木下さん の一言が私に与えた驚きでした。人は、物理的な空間を歩きながら、実は脳内に作り上げたイメージの中を歩いている。私と木下さんは、同 じ坂を並んで下りながら、実は全く違う世界を歩いていたわけです。 ③彼らは「道」から自由だと言えるのかもしれません。 道は、人が進むべき方向を示します。もちろん視覚障害者だって、個人差はあると しても、音の反響や白杖(はくじょう) の感触を利用して道の幅や向きを把握しています。 しかし、目が道のずっと先まで一瞬にして見通すこ とができるのに対し、音や感触で把握できる範囲は限定されている。道から自由であるとは、予測が立ちにくいという意味では特殊な慎重さ
H all the を要しますが、だからこそ、道だけを特別視しない俯瞰的なビジョンを持つことができたのでしょう。 全盲の木下さんがそのとき手にしていた 「情報」は、私に比べればきわめて少ないものでした。 少ないどころか、たぶん二つの情報しかな かったはずです。 つまり「大岡山という地名」と「足で感じる傾き」の二つです。 しかし情報が少ないからこそ、それを解釈することによっ て、見える人では持ち得ないような空間が、頭の中に作り出されました。 木下さんはそのことについてこう語っています。 「たぶん脳の中にはスペースがありますよね。 見える人だと、そこがスーパーや通る人だ とかで埋まっているんだけど、ぼくらの場合はそこが空いていて、見える人のようには使っていない。でもそのスペースを何とか使おうとし て、情報と情報を結びつけていくので、そういったイメージができてくるんでしょうね。さっきなら、足で感じる『斜面を下っている』とい う情報しかないので、これはどういうことだ? と考えていくわけです。だから、見えない人はある意味で余裕があるのかもしれないね。見 えると、坂だ、ということで気が奪われちゃうんでしょうね。きっと、まわりの風景、空が青いだとか、スカイツリーが見えるとか、そうい うので忙しいわけだよね」。 まさに情報の少なさが特有の意味を生み出している実例です。 都市で生活していると、目がとらえる情報の多くは、人工的なものです。 大 型スクリーンに映し出されるアイドルの顔、新商品を宣伝する看板、電車の中吊り広告......。 見られるためにしつらえられたもの、本当は自 分にはあまり関係のない=「意味」を持たないかもしれない、純粋な「情報」もたくさんあふれています。視覚的な注意をさらっていくめま ぐるしい情報の洪水。 確かに見える人の頭の中には、木下さんの言う「脳の中のスペース」がほとんどありません。 それに比べて見えない人は、こうした洪水とは無縁です。もちろん音や匂いも都市には氾濫していますが、それでも木下さんに言わせれば 「脳の中に余裕がある」。さきほど、見えない人は道から自由なのではないか、と述べました。この「道」は、物理的な道、つまりコンクリ ートや土を固めて作られた文字通りの道であると同時に、比喩的な道でもあります。つまり、「こっちにおいで」と人の進むべき方向を示す もの、という意味です。 (中略) さて大岡「山」の経験が示唆していたのは、見えない人が見える人よりも空間を大きく俯瞰的にとらえている場合がある、ということでし た。普通に考えると、見える人の方が「見通す」ことができるので、遠くまで空間をとらえていそうです。 しかし、そのことによってかえって「道」 にしばられてしまう。だからかえって見えない人の方が、目が見通すことのできる範囲を越えて、 大きく空間をとらえることができる。 視野を持たないゆえに視野が狭くならない。 とんちみたいですが、私たちの④先入観を裏切る面白い経 験です。 俯瞰的な大岡「山」のイメージは、「足元の傾斜」と「地名」という限られた情報を結びつけることによって得られたものです。つまり、 によって得られたもの。視覚的に見られたものではありません。 Xによって得られた大岡 「山」には、駅前のスーパーも、マクドナルドも、病院もありません。お椀状の土地に、駅、信号、建物など いくつかのランドマークが配置されているだけ。それは幾何学的で抽象的な、図式化された空間です。 視覚が個々の物の、とりわけ表面をな ぞるのだとすれば、 Xによって得られるのは、むしろ物の配置や物と物の関係です。見えない人は、情報量が減る代わりに配置や関係に 特化したイメージで空間をとらえているのです。 伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』より。一部改変。) *注 木下路徳さん…生まれつき弱視で、十六歳の時に失明し、現在は全盲。 さまざまなワークショップなどで活躍している。 問傍線部「なぜなら木下さんが、そこを『山の斜面』だと言ったからです。毎日のようにそこを行き来していましたが、私にとっては それはただの『坂道』でしかありませんでした」 とあるが、これはどういうことか。その説明として最も適切なものを次から一つ選び、 記号で答えなさい。 「木下さん」の頭の中には、そこが山ではないにも関わらず山の斜面を上っている光景がイメージされていたのに対し、「私」は目 が見えるので、実際に山らしい風景は見えていなかった。 で視覚的な坂道としか認識されなかった。 「木下さん」は傾きの感覚が鋭敏なのでそこが山の斜面だということがすぐにわかったが、「私」は傾きの感覚はよくわからないの ウ れ、そのようなイメージは形成されなかった。 「木下さん」は地名と傾きをもとにして作られたイメージの世界を歩いていたが、「私」は視界に入るさまざまなものに意識を奪わ オ のものになっていて、そんなことは思いつかなかった。 「木下さん」は大岡山という名前を新鮮に感じたので、 地名と傾きの感覚を結びつけることができたが、「私」は大岡山が当たり前 山という名前と地形を結びつけたことがなかった。 「木下さん」は大岡山という名前を聞いた時に、そこをスムーズに歩けるように高低差についてもよく調べていたが、「私」は大岡
ア 20 49244ge HUKO NYEK LEHE 問1 傍線部② 「ベルトコンベアのように運ばれている存在」 とあるが、 これはどういうことか。 その説明として最も適切なものを次から一 つ選び、記号で答えなさい。 私たち「通行人」 はしばしばベルトコンベアのような動く歩道によって、決められた地点から決められた地点まで運ばれることがあ るということ。 イ 私たちは自分の生きる道を周囲の人たちや環境によって決められてしまうことが多く、そこから解放されて自分の意志で行動する ことは難しいということ。 私たちは自分の意志で進んでいながら思わぬところにたどり着いていることがあるが、実は何らかの意思によって導かれていると いうこと。 ウ エ私たちは歩いている時にほかのものに気をとられて空間全体を俯瞰的にとらえることはほとんどなく、定められた道に沿って進ん でいるだけだということ。 オ 私たちは余計なところには立ち入ってはいけないし、出発点から目的地までを効率よく進むためにも、ベルトコンベアで運ばれるよ うに道を歩くべきだということ。 問三傍線部 ③ 「彼らは『道』から自由だと言えるのかもしれません」とあるが、「『道』から自由」であるとはどういうことか。その説明と して最も適切なものを次から一つ選び、記号で答えなさい。 ア 見えない人は先を見通すことができないので、決められた進路に進まずに済み、誰からも影響を受けない自由な人生設計をすること ができるということ。 イ 見えない人は見える人のように視覚的な情報に惑わされることがないので、限られた情報をもとに俯瞰的で開かれたイメージを持 つことができるということ。 ウ見えない人は点字ブロックなど、見えない人専用の特別な場所を歩くことが多いので、見える人と同じような道を通る必要がなく自 由度が高いということ。介 エ見えない人は未来の目標にしばられないので、自ら立てた目標にとらわれがちな見える人に比べて、より斬新なアイディアを出せる ということ。 オ 見えない人は脳のスペースに余裕があるので、進むべき道のりの選択肢を多く持つことができ、新たな道順を開拓できる可能性が高 いということ。 問四傍線部④「先入観を裏切る」とあるが、これはどういうことか。その説明として最も適切なものを次から一つ選び、記号で答 えなさい。 ア 見えない人は見える人よりも視野が狭いと思われがちだが、想像力を働かせることでかえって空間を無限にとらえることができて いた。 イ 見えない人は地形や道が全く見えていないと思われがちだが、実際は経験と知識からかなり正確かつ微細に地形を把握できていた。 ウ 見えない人は視覚的な情報の洪水と無縁だと思われがちだが、実は匂いや音などのさまざまな刺激にあふれており、それに翻弄され ていた。 見えない人は得られる情報が限定されていると思われがちだが、実際はそれらをつなぎ合わせて脳の中に誰も知り得ない知識を蓄 えていた。 オ見えない人は認識できる範囲が狭いと思われがちだが、得られた情報を解釈することでより広い空間をイメージしている場合があ った。 問五 Xにはすべて同じ語が入るが、それは何か。最も適切なものを次から一つ選び、記号で答えなさい。 ア感覚 イ選択 ウ 推論 H 配慮 才交流 問六本文の内容と合致するものとして最も適切なものを次から一つ選び、記号で答えなさい。 私と木下さんは、 大岡山の頂上で待ち合わせをしてから、ふもとの東京工業大学大岡山キャンパスの大学正門まで一緒に下山した。 イ見える人も見えない人同様、イメージの世界を歩いているが、そのイメージは見える人と見えない人とではかなり異なる場合があ る。 ウ 視覚から得られる情報が少ないと、かえっていろいろなことを頭の中で想像できるので、毎日の生活がよりいっそう楽しくなる。

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