✨ Jawaban Terbaik ✨
簡単に言えば、ファショダ事件によってイギリスとフランスが仲良くなり、共に「アフリカを植民地としよう」と約束したからです。
背景ですが当時、イギリスはエジプトのカイロから南アフリカのケープタウンを繋げる「縦断政策」を強行していました。(これにインドのカルカッタを追加して3C政策とも言います。)
それに対しフランスはアルジェリアからマダガスカルを繋げる「横断政策」を取りました。
その二つがぶつかったのが「ファショダ」だったわけです。フランス側の譲歩により戦争は回避され、両国とも、皇帝ヴィルヘルム2世によって3B政策(ベルリン、ビザンティウム、バグダードを繋げる計画)を断行していたドイツを敵視するようになります。
これによって英仏協商が誕生(ここでもエジプトにおけるイギリス優先権とモロッコにおけるフランス優先権を決める。)し、のちの第一次世界大戦へとつながる一つのきっかけとなります。
長文失礼しました。回答になっていれば幸いです。
丁寧な回答ありがとうございます😊✨!!