Answers

✨ Jawaban Terbaik ✨


孝徳天皇の時代、647年に渟足柵が現在の新潟県に築かれます。その後、658年斉明天皇の時代に阿倍比羅夫が蝦夷を討ちに遠征を行います。
→ここから、前後関係が間違っているので①が誤りだと分かります。ちなみに、阿倍比羅夫は白村江の戦いにも参戦します。

②.③
11世紀には院政が始まり、源氏の東国進出も進んできます。その際1051年に前九年合戦、1083年に後三年合戦が現在の東北地方で起こります。

・前九年合戦→陸奥にいた朝廷に反発する勢力である安倍氏(安倍時頼)を源頼義、源義家が倒します。このとき、清原氏が安倍氏討伐に力を貸したので、次に清原氏が東北で力を持つようになります。

・後三年合戦→先ほど力を付けた清原氏の内紛がきっかけで起こります。この内紛は藤原清衡が勝利します。そしてこの時、源義家が清衡を援助しました。これにより藤原清衡は東北で実権を握るようになり、平泉(岩手県)で奥州藤原氏が始まります。
→つまり、清原氏と戦った源氏は源義家であり、奥州藤原氏の拠点は平泉であるため②.③は誤りとなります。

ちなみに胆沢城に鎮守府が移されたのは800年頃で、奥州藤原氏の始まりは1087年です。

長くなりましたがこんな感じです🙏
分かりにくいところがあれば言ってください🙏

Post A Comment

Answers

阿倍比羅夫は日本海側で戦ったけど、会津は内陸。

清原氏は源頼義に味方した。

奥州藤原氏の拠点は平泉。

Post A Comment
Apa kebingunganmu sudah terpecahkan?