✨ Jawaban Terbaik ✨
田舎び/たら/む/ものを
田舎び/ている/だろう/けれども
「ものを」は、逆接の確定条件(〜けれども)です。
連体形に接続します。
よって、助動詞「む」の連体形となります。
ここでは、「〜だろう」と訳しているので、
推量の意味になります。
もしかして、「む」のあとに「もの」が来たから、「あれ?体言きてるから婉曲?」ってなったのかな。
これは、「ものを」という接続助詞になります。
けれども、という意味なので「む」を前につけて
「だろうけれども」となります。
よって、推量です。
古典文法の参考書にも載ってると思うので、
調べてみてください📝
◆婉曲の「む」
①婉曲とは、はっきりと言わないで、遠回しに言う言い方のこと。
②婉曲を訳す時は、「…ような」、または無理に訳さなくても良い。
③婉曲の「む」は連体形。「む」の下には体言や助詞(「は」「に」「には」など)がくる。
仮定、婉曲は、
「む」+ 体言または助詞
現代語にしてみると、
「〜のような人」と体言にかかったりする、ということです。「〜のようなだけれども」はちょっと変になってしまいますね。
たぶん、おっしゃりたいのは、「もの」が体言なのか「ものを」の接続助詞なのかどやってみわければよいの?ということかなと思います。
「ものを」を分解すると、
形式名詞の「もの」と間投助詞の「を」になります。
この「もの」は、「人や物事」という名詞ではないのです。「世の中は空しきものと知る〜」などに使われるときの「もの」は、ある実態や事柄を表していますね。
古語の「もの」
現代語では「もの」は「事」と対比されて、具体的に形を持って存在するものを表しますが、古語では、特にこれといって支持しない、あるいは指示できない物事を「もの」と表します。
無理やり現代語でいうならば、と考えてみると、
「雑誌にのっていたようなものがほしい」
→婉曲
「そうと知ってればやっていたものを…テスト範囲間違ってしまった…」
→そうと知ってればやっていたのに(逆接条件)
前後の文脈で、もし「けれども」と使われている場合は逆のことが言われているはずです。「田舎びているけれども、意外とデキル奴!」とか(想像)。
また、「ものを」は接続助詞だけでなく、
終助詞「ものを」で詠嘆をあらわすことも…!
「雀の子を犬君が逃がしつる、伏せ籠の中に籠めたりつるものを」(閉じ込めておいたのになあ)
詠嘆は、文末や和歌で使われることがあります。
長々とごめんなさい🙇♀️
簡単にまとめると、
・古語の「もの」は現代と全く違う感覚なので、もいちどじぶんで「もの」を辞書でしらべてみるとよき
・「ものを」の前後で逆のこと言ってたら、逆接だと思ってよい
・「ものを」は、「〜のに」「〜けれども」以外に、文末や和歌では「〜のになあ」と詠嘆で訳す
以上です🐾
すごい分かりやすい説明ありがとうございます✨
助かりました💖
ありがとうございます😭
接続助詞が来たら婉曲や仮定の意味にならないという事ですか???