✨ Jawaban Terbaik ✨
簡単に言うと、その時代の御家人たちは分割相続の相続形態をとっており所領(土地)が細分化され、
貧窮している所に二度にわたる元寇に尽力するも結局褒美(土地を得る)ことはなく、
さらに窮乏してしまいましたよね。国内の敵ではなく、国外の敵だったから。
元寇で活躍したといって寺社たちが各地で御家人たちの所領を自分たちのものにしろと主張し始めて
没落御家人がでてきます。
そこで幕府は永仁の徳政令を出し、御家人たちの借金をチャラにしてあげようとしましたが、
一度借金をチャラにしたあと、給料が増えたわけではないしこれからも金を借りないと生きていけないのです。でも金を貸していた側は、また貸しても徳政令なんか出された日には借金がチャラになってしまうので、「もう貸さない!」ってことで金を貸してくれなくなりました。
ということで御家人が窮乏する一方だったので不満は高まるのです。
丁寧な回答、本当にありがとうございました😊
お礼のコメントが遅くなってしまい、大変申し訳ありません💦