Contemporary writings
SMA

問2の答えを②にしてしまったのですが、回答は①でした。
理由を教えていただきたいです🙇‍♀️

円は完全な図形であり、それ故に、天体は円を描いて回転するというプラトン の教義に反し、最初に、惑星の軌道は 楕円を描くと予言したのは、デンマークの天文学者ティコプラーエであったが、それはかれが、スコラ哲学風の思弁 と手をきり、単に実証的であり、科学的であったためではなかった。プラトンの円とおなじく、ティコの楕円もまた、 やはり、それがみいだされたのは、頭上にひろがる望遠レンズのなかの宇宙においてではなく、眼にはみえない、頭の なかの宇宙においてであった。それにもかかわらず、特にティコが、円を排し、楕円をとりあげたのは、かれの眺めいった その宇宙に、二つの焦点があったためであった。すくなくとも私は、ティコの予言の根拠を、かれの設計したウラ ニエンボルタの天文台にではなく、二つの焦点のある、かれの分裂した心はに求める。転形期に生きたかれの心のなかで は、中世台近世とが、歴然と、二つの焦点としての役割をはたしており、空前の精密さをもって観測にしたがい、後に ケブラーによって感謝されるほどの業績をのこしたかれは、また同時に、熱心な占星術の支持者でもあった。いかにか れが、星の人間にたいする影響力を深く信じていたかは、決闘によって自分の鼻の先端を切り落とされたとき、その原 因のすべてを星に帰し、いさぎよく諦めてしまったという、無邪気な挿話からでもうかがわれる。 円の跳 梁するときもあれば、円に代わり、楕円の握頭するときもある。たとえば、コクトーは、 ーたしかコクトー であったと思うが、神戸の埠頭で、日本の子供が、きわめて無造作に、地上に完全な円を描くのをみて感動した。それ はかれが、そのなにげない子供の一動作に、日本人全体のもつ芸術的天菓のいかなるものであるかをみたからであり 子ちの焦点のない、その純粋な心の状態に、讃嘆の念を禁じ得なかったためであろう。かれの観察は、正しくもあれば、 また、間違ってもいる。いかにも葛飾北斎は、定規もコンパスも手にとらず、神戸の子供よりも、もっと巧みに、完全 な円を描いたでもあろう。しかし、我々は、 見事な円を描き得るであろうか。いまもなお、そういう純粋な心の状態にあるであろうか。我々の描く円は、ことごと く歪んでおり、そのぶざまな形に嫌気がさし、すでに我々は、円をかこうとする気持ちさえ失っているのではないだろ」 次の文章を読んで、後の設問に答えなさい。 たいとう てんぴん -はたして我々もまた、我々の子供や、昔の芸術家のように、苦もなく、 か。二葉亭の「基面影」の主人公は、苦しげにつぶやく。
評論◆復習問題1 なるほど すなわち、これによってみても、我々の魂の分裂は、もはや我々の父の時代からのことであり、しかも私の歯がゆく てたまらないことは、おそらく右の主人公が、初歩の幾何学すら知らないためであろうが、二つの焦点を、二つの中心 としてとらえているということだ。かれの「狐疑逸巡」や、「決着した所がない」最大の原因は、まさしくここにある 何故にかれは、二点のあいだに、いたずらに視線をさまよわせ、煮えきらないままでいるのであろうか。円を描こうと 思うからだ。むろん、一点を黙殺し、他の一点を中心として週爽と円を描くよりも、いくらか「良心的」ではあるであ ろうが、それにしても、もどかしいかぎりではないか。何故に、決然と、その各々の点にピンを突き刺さないのであろ うか。何故にそれらのピンに、一個の木綿の糸の輪をかけないのであろうか。何故に鉛筆で、その糸の輪をつよく引き ながら、ぐるりと回転させないのであろうか。つまるところ、何故に楕円を描かないのであろうか。「其面影』を書い た以上、二葉亭は、この楕円の画法を知っており、不完全ながら、とにかく楕円らしいものの図形を描きあげたが、我々 の周囲には、二点の間を紡復し、無為に毎日をすごしている連中か、二点のうち、一点だけはみないふりをし、相変わ らず円ばかりを描いている、あつかましい連中かがみあたるにすぎない。転形期における錯乱の痛烈な表現を、まだ誰 ひとりあたえてはいないのだ。自分の魂の周辺が、いかなる曲線を描いているかを示すということは、それほど困難な ことであろうか。 いうまでもなく楕円は、焦点の位置次第で、無限に円に近づくこともできれば、直線に近づくこともできようが、そ の形がいかに変化しようとも、依然として、楕円が楕円である限り、それは、醒めながら眠り、眠りながら醒め、泣き ながら笑い、笑いながら泣き、信じながら疑い、疑いながら信ずることを意味する。これが暖味であり、なにか有り得 べからざるもののように思われ、しかも、みにくい印象を君にあたえるとすれば、それは君が、いまもなお、(円の亡 霊に悪かれているためであろう。焦点こそ二つあるが、楕円は、円とおなじく、一つの中心と、明確な輪郭をもつ堂々 たる図形であり、円は、むしろ、楕円のなかのきわめて特殊のばあい、|すなわち、その短径と長径とがひとしいば あいにすぎず、楕円のほうが、円よりも、はるかに「鞍的な存在であるともいえる。ギリシア人は単純な調和を愛した から、円をうつくしいと感じたでもあろうが、矛盾しているにも拘らず調和している、楕円の複雑な調和のほうが、我々 にとっては、いっそう、うつくしいはずではなかろうか。ポーは、その「楕円の肖像画』において、生きたまま死に、 死んだまま生きている肖像画を示し、||まことに『我が意を得たりというべきだが、それを楕円の頬 君はよく僕の事を中途半端だといって攻撃しましたな。成程僕には昔から何だか中心点が二つあって、終始その 日 二点の間を勃砲しているような気がしたです。だから事に当って何時も狐疑逸巡する、決着した所がない。 *ポー
目標時間5分/0点 ImN am mコ ロ た。その楕円の額縁は、うつくしい金色で、ムーア風の 工がしてあり、燭台の灯に照され薄闇のなかで灰かな光を放っ (花田清輝「復興期の精神』) Pいた。 問1問題文中から、楕円の精神をもつ人物をすべて抜き出しなさい。 「(栗亭 ポー 問2 傍線部Aが指すものとして、適切でないものを一つ選びなさい。 星が人間に影響力を持つ、占星術的な宇宙 白星術と科学的天文学が、同時に存在するような精神の世界 中世と近世とが二つの焦点となっている、かれの分裂した心 眼にはみえない、頭のなかの宇宙 傍線部Bが比除的に表すものとして、適切なものを二つ選びなさい。 プラトンの円とティコの楕円 ヨーロッパにおける中世と近世 G 学的思弁と斜学的観測 G

Answers

傍線部A「その宇宙」の前に「頭上に広がる望遠レンズのなかの宇宙においてではなく、眼には見えない、頭の中の宇宙においてであった。」と書いてあるので眼に見える星のことを言っている「星が人間に影響力を持つ、占星術的な宇宙」は適切でないです。

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