✨ Jawaban Terbaik ✨
日清修好条規と日朝修好条規ね。
まず、それぞれの条約の違いを理解しているのが大事ですのでそれをおさえてもらえば十分です。でもなぜ?と疑問にもつことは大切ですね。素晴らしい!(誰やねん(笑))
本題に入ります。もともと、日本と清はどのような立場、関係でありました?
清とは長崎にて貿易をしていました。
しかし、それって何か取り決めとかありましたか?答えとしてはないのです。大信不約(中国の言い伝えである約束をしなければ守られないようなことは、本当の信頼関係とはいえないということ。)として清は条約を通じての国交を拒んだ。
一方、日本は国際化の中で正式に国交を持つべきと考えた。しかし、当時の日本は清より朝鮮に関心があった。
よって、日本は先に朝鮮と国交を持とうとした…
しかし、朝鮮は日本の国書は生意気だからイヤだと拒否した。
当時朝鮮は清との君臣関係があり、清より格上の国しか認めなかった。
歴史上、朝鮮は強い国にすがることが多々ある。
ここで、日本は清と国交を結べば対等になるのでは!と考える。
日本…西洋諸国をよく思わない(方便)
清…西洋諸国をよく思わない
↓
互いに助け合おう!!
↓
条約締結へ
↓
英仏米が怪しむ
↓
清との軍事同盟を結ぶとどうなるかわかるよな?(脅す)
↓
ここで、日本は欧米のような不平等条約を結んで、欧米列強の怒りを買わないようにした、
↓
清がこれを拒否
↓
両者一歩も引かずに、条約締結
↓
結果…対等な条約になった。
従って目的は清と条約を結ぶことで、朝鮮にたいして日本が格上の国であることを示すため。
内容に関しては国内では反論が起こる
結果…締結に二年もかかる
っていうからくりです。結局、その二年の間に国際情勢も変わり、清との関係もそこまで良いわけではなかった。
これより先は日清戦争へ
って訳で以上日清修好条規でした。
丁寧な解説ありがとうございます!勉強になりました!
日朝修好条規は先ほどの日清修好条規の後に結ばれます。
当時の日本は「征韓論」という考えのもとで朝鮮に開国を試みます。
これは、当時の欧米列強のように東アジアに武力を背景に進出していこうという考えがきています。
そして、江華島事件などを得て、条約締結へ。
当時は不平等条約が主流であったのと、江華島事件によって日本有利で話が進められたという訳です。