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大鏡「花山天皇の出家」 Page 8

ノートテキスト

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Ninn
春宮
宝剣渡りたまひぬるには。」と、栗田殿の
騒がし申したまひけるは、
まだ市でさせおはしまこごりける先に、手がから取りて、春宮
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意図的
夜す
→
御方に渡したてまつりたまひ②ければ、帰りとらせたまはなことだ
t
Doté lek
あるまじく思して、しか申させたまひげると()
さやけきを、まばゆく思しめしつるほどに、月の顔にむら雲のかかりて、
少し暗がりゆきければ、 わがお家は成就するなりけり。
歩み込みさせたまふほどに、弘徽殿御
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」と仰せられる。
同格
御の日取り残して
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御身を放たず御覧じけるを思しめで、「しゅ」とで、取りに入りおはしまし
S
A
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けるほどの、粟田熊の、「いかにかくは思しめしないでおはしましぬるど。
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推
ただいまおのごう降りも出でまうで来園。」と、とう泣きしたまひけるは。
↓
花山寺におはしまし着き 御髪おろさせたまひて後にど、栗田殿は、

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Hin
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神璽・宝剣が渡りなさった」と
さやけ 明るい。はっきりしている
要殿が騒がしく申し上げなこったのは、
まりが悪い
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まだ幸がお出で遊ぼすめに、
取って 春官の御方に神・宝
剣でお渡し申し上げなさったので、お帰り
おすようなことは、不可能だとお思いになって
このように申し上げなさったのだ。
はっきりした日の光をまぶしくお思い
なさえいる時に、目に
奏す。天皇に申し上げる
かかって
少し くなったので 「取り出家は啓す
成功するだろう。」とおられてなさった
時、弘徽殿女御の御手紙でもご確
ずに残しておいて、御自身の身から音
た
その身を放さず、御覧なさっていので
お思い出しになった「ちょこ」と取りにお入りに
遊された時、
なる
なった時、栗旬殿がどうしてそのようにお思花山寺にお着きになって御髪を
なられるのでしょう。そうを過ぎれば、自然と
おろしなさった後に、栗田際は
支障も出て来るでしょう」と泣きしなさったのは。

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自分
「まかりで、大臣にも、変はうぬ姿
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→
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し
いま一度見え、かくと案内申して、
きの
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必ず参りはぐらな。」と申したまひければ、
し
たまひけれ。
あはれに起
しきことなりな。日ごろ、よく、御弟子にて
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さぶらはむと契りて、すかし申したまひけが恐ろしさよ。東三条殿は、もし
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大し
ることやしたまふと、ふさに、なるべくおとなしきト
なにがし
ひがしというこみき源氏の武者たちを、御送りに添うれたけれ。
京のほどは隠れて、堤のわたりよりもうちでまねりける。寺などにては、
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もし押して人なごやなしたてまつると、
抜きかけてり申しける。
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総合ガイド(大)
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「出して、大臣にも変わらないを
有明のいみじう明かかり
もう一度見せ
このように安田と申し上げて
必ず参ります。」と申しなこれば、「
私を たまし
さやけき
まばゆく悲しめし
たのか。」
おばされた。
なんとも
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悲しいことであるなぁ。中頃、よく弟子として
月の顔になら重りかかり
CHAN
あ
「わが家は起するなり」
お仕えするとあごひき申し上げなさ、た
命の甘受
ことの
さよ。
もしかした
は、恐ろしやま 三条は
そのようなことをしなのかと心配故に、それにふさわしい。
("C
な
思慮分別のある人々、誰とれという源んの
栗田の
武者たちを御送りにお添えになられた。→要を守るために栗田の父が守りをつけた。
(→見つかった場合に相手を殺すため)
京のほどに隠れる、堤の辺りから出てお使え
申し上げた。
京都では 人目が多く、日立ってしまう
来すまた。寺などは、もし無理が
人が少なくなってから攻撃を表す
申し上げる木 一尺ばかりの刀を
抜きかけて守り申し上げる。

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ひの王
次の市、花山院の天皇と申しき。 冷泉院の
第一皇子なり。御母 贈皇后宮徳子と
FC Nú
かめ
申す。太政大臣伊作の大臣の第一の御女
なり。この市、安和元年戊辰 十月二十六日
丙子 母方の御祖父の一年の家にて生まれ
させたまふとあるは、世尊寺のことにや
その日は、冷泉院の御時の大宮会の御禊
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あり
同じ二年一月十三日、春官に立ちふ
御年二歳。天元五年二月十九日
元服
#isldtim
御年十五。永 観二年甲申八月二十八日

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次の花と申し上げました。
冷泉院の第一の皇子だ。
菓子
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申し上げる。
大政大臣伊伊の大臣の第一の娘
花山院
で。
この本は中和元年戊辰
tallt!!! #26 #26
家にてお生まれたとある
のは、世尊院のことだろうか。
その日は冷泉の大宮会の御禊
があった。同じ二年八月十三日
春宮にお立ちになりなさる、御年
は二歳。天元五年二月十九日
元服なさる 御年は十五
永二年八月二十八日、
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わんな
他につかせたまえ。御年十七和二年
六月二十二日の夜 あさましくはぷうひしことは
人にも知らせたまはで、みそかに花山寺に
おはしまして、御家入道せさせたま
「
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②ョン
こと、御年十九。世を保たせたまえ
健の理由で退任した訳ではないことを示す
こと二年。その後二十二年おはしましき。
あはれなることは、下りおはしましける夜は、蓋の
上の御局の小戸よりムでさせたまひけるに、有明の
ている
月のいいくかかりければ、 顕話にこそありけれ。
いかがすぐから風。」と仰せられけるを、「さりとて、
止まらせたまふきやうはぐらか神璽
だからといって方いるく目立ちすぎる

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他におっきなさる。御井は十七歳。
実和二年六月二十二日の夜
あきれましたことは、人にもお知
有明の月
なさらないで、密かに花山寺にいらっしゃい 〈三種の神器>
・陰暦十六日(特に二十過ぎ)
の夜明け方になっても空に
残っている月。
まして、御家人道」なさいましたのが
御年十九才。世を保ちなここを
二年。その後二年いっきりました。
しみじみと思われることには、
精するまた、下りなさる夜け
藤壺の上の御局の小戸からおりで
なった時に
Dt
の目がすばらしく
目立っていること。
明るかったので、
はっきりしているなぁ
どうしたらよいか。
とおっしゃられるのを、
し
中止することはできるわけも
r だからと言っておやめになるべき
はありません。
神

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さいり
さいり

わかりやすいです!
質問なんですけど、どうやったらそんな綺麗にノートの写真がとれるんですか?