【修学旅行前】下調べノート in奈良・京都 -興福寺・春日大社 編-
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Senior HighSemua
旅行前下調べ大好き女による事前情報まとめノートを公開します♡
実際修学旅行で行ってきたのですが、「ああ、これが前調べたアレね!」「これがこんな風になっているのはこんな意図があるんだったよな〜」と思い返しながら旅をすることができて、とても濃い時間を過ごすことができました。
これがあの時の!!となる瞬間の感情が高まる感じが最高に快感で大好きです。
また行きたいな〜😊
ちなみに、完全なネタバレになってしまうので、毎回写真だけは調べないようにしています。
ノートテキスト
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・見どころ。 正面から見でまってぐ美しく見えるように わざとわずかに傾いている!? 制限さ ①五重塔 55m 16 高さ 50.1m(木造建築として東に次ぐ2番目の大きさ) 730年に光明皇后が母の冥福を祈って建立 16室町時代 今までに6回焼失(現存する塔は1426年再建のもの) 屋根の間隔がだんだん狭くなっていて、上にいくほど軽やかに見える 国宝の1つ ②阿修羅像 法華経に由来 インド神話の神々が仏教に取り入れられた 八部衆に仏法を守護する8種の神々の総称)の1つで、 116 阿修羅像は中は空洞 守護神の中の少年神 高さ153.4cmの乾漆像に粘土の型の上から布を漆で貼り重ねる) 顔が3つ、腕が6本あるう正面→苦悩、憂い、思索の表情 右側→怒り、決意 = "三面六臂" 国宝館で展示中 中金堂(ゆうこんどう) 左側→哀しみ、諦め= →「思春期の少年のよう」とも言われ、 「争いの中で苦悩する青年の姿」の象徴とも 興福寺の中心堂に本堂的な存在) 2018年に再建され、木造・朱塗りで 天平建築を忠実に再現 屋根瓦には藤原家の家紋「下がり藤」が刻まれている ④ 東金堂(とうこんどう) ◎1915年に再建 光明皇后が父・藤原不比等の冥福を祈って建立。 和様建築が用いられていて、屋根の反りと棋(ときょう)の 繊細さ、軒下の木組みの細かさに注目。※室町時代の職人技 1
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誤的役割を担い、中の仏像はすべて国宝 ◎本尊:薬師如来坐像(両脇に日光・月光菩薩 薬師三尊像」) 十二神将像(干支に対応する守護神たち) 維摩居士(ゆいまこじ)像(在家の聖者」僧ではないが知恵を象徴) 文殊菩薩(もんじゅぼさつ)像(維摩経」の説法場面を再現) 四天王像(仏教世界を守護する神々の邪鬼を踏むポーズが迫力) ⑤ 南円堂 農原冬嗣が父・内麻呂の冥福を祈って建立 江戸時代に再建 花山法皇 for 再興 「円満・調和・宇宙」を象徴する八角円堂構造 西国三十三所観音霊場(日本最古の観音巡礼の観音霊場)の 第九番札所(ふだしょ)で重要文化財の1つ 本尊:不空羂索観音像(ふくうけんじゃくかんのんぞう) 乾漆造に中に木の芯がある乾漆像) 18本の腕を持つ からめとって救う 羂索=投げ縄(迷いの世界にいる人々を逃さず救う慈悲) 背丈 3.6m ⑥北円堂 鎌倉時代 元明天皇・元正天皇が藤原不比等の追善のために創建 興福寺で現存最古の建物で国宝の1つ 八角円堂様式 弥勒如来坐像(運慶作) 無著・世親立像(唯識思想の祖、運慶作) 四天王尊(木、運慶一派の作)
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⑦三重塔 鎌倉初期に建立 和様と大陸風の折衷 高さ約19mで三重塔にしては小ぶり 女性的で繊細なバランスが評価されている 国宝の1つ 神仏習合と春日大社との関係、 興福寺=藤原氏の「仏の守り」 春日大社 = 僧が神事も 「神の守り」行っていた 一体化して信仰されていたに神仏習合) ※興福寺のすぐ側、奈良公園にいる鹿は春日大社の神使と されていた。 ・その他トリビア 16 昭和33~59年発行の旧札 五重の塔は1万円冊の裏面に印刷されていた。 五重の塔を猿沢池越しに眺める風景は「奈良八景」の1つ ※塔が池に映る様子=影向(ようごう)」と言い、 仏が現れる姿として尊ばれた。
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〇興福寺 ・宗派:法相宗(ほっそうしゅう) 「考え方で世界は変わる!」 6 二度の 「唯識(ゆいしき)思想うすべての現象ば心(意識)によって作られている」が 中心のインド由来の仏教。 インドの学者、無著(むじゃく)・世親(せん)兄弟が開祖。 奈良仏教(南都六宗)の1つで、貴族学僧の知的仏教として 栄えた。※薬師寺なども法相宗。 政治・宗教両方で ・藤原氏の氏寺(一族の守護・権威の象徴) 「藤原家の砦」 ・創建・歴史 ・額田王と姉妹という説も。 ◎藤原不比等の生母とされる。 (① 藤原(中)鎌足の病気平癒を願い、夫人・鏡王女(かがみのおおきみ) が山背国山階(京都の山科)に「山階寺(やましなでら)」として 建立。 ※興福寺の起源 移転 ②飛鳥の地に移り、「厩坂寺(うまやさかでら)」と呼ばれる。 ③ 平城京遷都にともない、藤原不比等が現在地に移築。 →「興福寺」になる。 ※この年(710年)が本格創建年とされる。 ④平安~鎌倉時代、東大寺と並び「南都七大寺」の1つとして栄え、 僧兵も多く抱える。※比叡山延暦寺と並ぶ武闘派寺院 ⑤平重衡が南都焼討を行い、興福寺も大半を焼失。 ⑥中世以降、何度も火災で焼けるが、そのたび再建。 ※「焼けても甦る寺」としても知られる。 ⑦ 明治維新後、神仏分離令で春日大社と分離。 廃物毀釈(はいぶつきしゃく)運動で一時衰退。 ⑧ 中金堂が約300年ぶりに再建。江戸の火災以来 復興の象徴として話題に。※2018年 ・本尊:釈迦如来 仏 日本が神道を 国家の宗教に しようとしていた。 教の排斥運動
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○春日大社 ・創建の由来 藤原氏の氏神を祀るため、鹿島神宮(茨城)から神をお迎え [して創建された。] L鹿島神宮から武甕槌命(たけみかづちのみこと)が 白鹿に乗って春日山に降臨したという伝説がある。 祭神」 ・第一般:武甕槌命・・・勇気・勝負運 第二殿:経津主命(ふつぬしのみこと)・・・武運・開運 第三殿 : 天児屋根命(あめのこやねのみこと)・学問・祭祀・知恵 第四殿:比売神(ひめがみ)・縁結び・家庭円満 →合わせて「春日の四所明神」と呼ばれる。 ・見どころ ①本殿 春日造の代表 屋根:優美な曲線を描いて反り、正面に「向拝(こうはい)」 本かせたと呼ばれる片流れのひさしが一体化 9 造 ちぎ 無事千木と鰹末 構造:切妻造(きりつまづくり)の妻入り 入り 柱:身舎(もや)の柱は円柱、向拝の柱は角柱 檜皮葺(ひわだぶき)の屋根を持つ 四棟並ぶ本殿は全て国宝 ②燈籠(とうろう) 境内には約3000基の燈籠がある ③春日山原始林 石燈籠約2000基 釣座約1000基 神の山、神が宿る森として1300年以上伐採禁止が続く 世界遺産の1つ
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・文化財・国宝 ①金地螺鋤装経箱(きんじらでんそうきょうばこ) 平安時代に作られた経典を納める箱→法業経 螺鈿(夜光貝などを細工した装飾)を施している 神への奉納品として作られた※神仏習合 ②赤縅大鎧(あかいとおどしおおよろい) 6 藤原氏の 平安後期の武具(奉納用に作られた可能性が高い) 武運長久を祈願 鎧の板が赤い絹糸で縫い合わせてあり、金の金具や螺鈿で 細部を飾ってある 胴体部分には鹿の毛皮が使われていることも ③春日権現験記絵(かすがごんげんげんきえ) 鎌倉時代に描かれた全20巻の絵巻物 春日大明神が人々を救う奇跡譚や、藤原氏に幸福を もたらす場面を描く 宮廷絵所の名人 絵師は高階隆兼したかしなたかかね)とされる
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