ノートテキスト
ページ1:
710年、元明天皇は藤原京から平城京に遷都 平城京 o ・条坊制によって、東西、南北に走る道で区画された (唐の都・長安のマネ) 。 。 朱雀大路で右京と左京に分かれた ・貴族、官人、庶民らの住宅、大寺院が建っていた ・左右京に開かれた宮設の市は市司が監督と きゅうじょう 宮城(大内裏) L ・内裏・・・・・天皇の生活の場 ・大極殿………儀式で天皇が出御する 朝堂院…政務や儀式を行う ☆ お金 天武天皇のとき、富本銭が鋳造されたり日 708年 元明天皇に武蔵国の銅が献上された →元号…和銅にしよう 銅と同があるから 漢字注意! お金…和同開珎をつくろう! でも....
ページ2:
和同開珎、流通せず..... そこで、71年、蓄銭叙位令を出す! 和同開珎をためたら、 量に応じて位階をあげるよ でも、やっぱり京や畿内でしか、流通しなかった... ちなみに、 これ以降、銭貨がたびたび鋳造され、村上天皇 の時代の乾元大宝までをまとめて ☆交通 「本朝十二銭」というよ! 中央と地方を結ぶシステム・駅制 (都と諸国府を結んだ) 約16kmごとに駅家が置かれ、官吏が公用で利用した 宿泊、馬の乗り継ぎサポートとか
ページ3:
☆外交 ○唐との関係 A ・天武・持続朝では遣唐使は派遣されなかったけど 大宝律令制定後に再開!定期的に派遣された ・多いときは500人が4隻の船で渡海! ・使節、留学生、学問僧は様々な文物を伝えたけど 阿倍仲麻呂のように玄宗皇帝に気に入られて、中国で 亡くなる人もいた... 。 ・新羅との関係 。 使節が盛んに往来していたのに… 日本が従属国として扱おうとしたから関係悪化 渤海との関係(渤海は7世紀末に中国東北部にできた) ・渤海の唐と新羅との対抗関係から、日本と友好的 に交流した。 ☆支配領域拡大 国家体制の整備が進む→支配エリア、広げちゃおう! 東北の蝦夷という人々に対し、7世紀半ばに渟足柵と 磐舟柵を設けた
ページ4:
斉明天皇の時代には阿部比羅夫が派遣された 77 8世紀になると東北の日本海側…出羽国設置 太平洋側...多賀城が築かれて 陸奥国府と鎮守府 主開目が置かれた 鎮守府は軍政の施設 Load BE 南九州の隼人という人々はすでに服属していて 8世紀初めに薩摩国、そして大隅国が置かれた
Comment
No comments yet