Senior High
世界史A

世界史A アメリカ独立~

14

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3

Sternenfest🌟

Sternenfest🌟

Senior HighSemua

アメリカ独立運動から辛亥革命までのおおまかな流れをまとめました!暗記用に重要語句や記述の部分はオレンジで書いてあります!
順番が前後してるページあるかも…

ノートテキスト

ページ1:

いいね!
世界史A
~アメリカ独立革命~
○1620年(ピルグリムファーザーズ)が(プリマス)に上陸。
(ヴァージニア植民地)を参考に植民開始。
○(七年戦争(1756~63年)・オーストリアVSプロイセン
○植民地への課税強化へ
(イギリス下院議会(ウェストミンスター宮殿)
○(印紙)法(1765年)・新聞・トランプ・証書などの印刷物に課税
「代表なくして課税なし」 議会に我らの代表がいないのに税金とるな!
(茶法(1773年)・東インド会社に茶の独占販売権を与える。
安い他国会社の茶(オランダなど)を買えなくなる。
・(ボストン茶会事件)茶法に反対した人々が先住民に扮してボストン港に投げた。
(イギリス)は(武力)をもって弾圧をはかった。
○(大陸会議(1774))・アメリカの植民地代表がイギリスに強く抗議
・(レキシントンの戦い(1775)・イギリス軍とアメリカ兵が衝突。
(独立戦争)へ・アメリカの民兵=(ミニットマン)
0
●第二回大陸会議(1776))(ジェファソン)が(独立宣言)を起草.
(トススペイン)が「コモンセンス」を著す→独立の世論を形成
「人民の支技なに神聖さはなし』

ページ2:

No.
Data
○(ワシントン)が植民地軍(アメリカ) 総司令官となる
0
0
(フランクリン)の外交活動で仏などの支援を得る
(ラ・ファイエット)・義勇兵として独立戦争に参加、後に(フランス革命)
で活躍。(フランス人権宣言)を起草。
・(ヨークタウンの戦い)・植民地軍が決定的勝利をつかむ
○(パリ条約(1783))・植民地側の勝利!(アメリカ合衆国)成立
毎年7月4日が独立記念日!
~合衆国憲法~
○自由・平等な市民が主権を持つ(共和政)
(ワシントン)が初代大統領に就任。
・自治権を持つ各州から構成される(連邦国家)
立法議会)・司法(連邦裁判所)・行政 (大統領)
からなる(三権分立権)の

ページ3:

D
~フランス革命~
・旧体制(=アンシャン・レジーム)
身分1位(聖職者)2位(貴族)3位(平民・ブルジョワジーサンキュロット
・国王ルイ16世)(三部会)を招集(特権身分)への課税を検討
◎主張特権身分の主張・伝統的な(身分別議決法)
10第三身分の主張:(個人別議決法)・1人1票
レガレ特権身分の反発で第三身分は三部会を締め出される。
・第三身分とそれに同調する聖職者・貴族が
(球戯場(テニスコート)の誓い)で憲法制定を目指す。(国民議会)結成
(バスティーユ牢獄襲撃)・政治犯を収監しており、(武器弾薬)を保管
○国民議会(封建的特権)の廃止を宣言。
〇(人権宣言)を発布(ラファイエット起草)
○(ヴェルサイユ行進)パンの値上がりに激怒した女性が中心になり、
国王一家をヴェルサイユからパリへ連行した。
・ヴァレンタ逃亡事件)・王妃(マリ・アントワネット)の母国オーストリアへの
脱出を図るが失敗、国王一家は信頼を失う。
○憲法制定(1791)(立憲君主制)と(制限選挙制)
選挙で(ジロンド派)中心の(立法議会)成立

ページ4:

No.
Date
○フイヤン派)・立憲君主制(国民議会)(ラファイエット)
○(ジロンド派)・穏健共和派(立法議会)(ブリッツ)
○(山岳派(ジェコペン派)・急進共和派(国民公会)・ダンジエール)
~革命の危機~
○(オーストリア)が革命への干渉を宣言。
。
(立法議会)はオーストリアへ宣戦布告する。
●サン=キュロット)が武装蜂起し、議会へ干渉・(王権)を停止する
(8月10日事件)が発生・(ヴァルミーの戦い)でフランス義勇軍が
(オーストリア・プロイセン)連合軍に勝利!
・男子普通選挙で(国民公会(山岳派中心))が成立
(共和政)の成立を宣言
・国王ルイ16世)、王妃(マリーアントワネット)を処刑。
●第一回対仏大同盟)ルイ16世の処刑を受け革命の波及
を恐れた国が結成 フランスへ宣戦布告
神聖ローマ帝国(オーストリア)・イギリス
(フランス) YS 南ネーデルラント(ベルギー)・プロイセン王国
・スペイン帝国・ポルトガル王国

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Date
0
主題として(勢力均衡)と(正統主義)を採択。
○(メッテルニヒ)(勢力均衡(バランス・オブ・パワー))
○仏外相(タレーラン)・(ヨーロッパの秩序を革命以前)の体制に、
(正統主義)
~
会議後の変化~
・フランス王家(ブルボン)家が復活
(ルイ18世が即位し(復古王政)が開始。
・(四国)同盟・(墺・音・露・英)
大国が同盟を結び、秩序の維持を図る。
・(神聖)同盟・(キリスト教)の理念に基づく同盟
・フランス革命とナポレオンの影響で市民に浸透した
(自由主義)とナショナリズムは残る
再び(王政)を打倒し、(近代市民社会)形成(ウィーン体制)
~大西洋革命~3
・カリブ海の(イスパニョーラ島)・17世紀から西部は(フランス領サンドマング)
・少数の白人(クリオーリョ)と(ムラート)が(砂糖)などの
大農園(アシエンダ)を所有・大多数の(黒人奴隷)を支配

ページ6:

No.
Date
~ナポレオンの改革~5
(フランス銀行)の設立・(フランス)の中央銀行、貨幣経済発展。
○(微兵制)導入(国民軍)を創設し国民国家体制の基盤を作る。
D
(ナポレオン法典(フランス民法典))を制定
3つの柱(所有権の不可侵・契約の自由・家族関係の強化)
(所有権)明記・家族の(尊重)・法の下の平等)など革命の成果を明文化
・(ナポレオン法典)は現在の世界中の(民法)のもとになった。
○国民投票で(皇帝)となる(第一帝政)
領土拡大に乗り出し諸国との戦争へ一連の戦争(ナポレオン戦争)
という。(ダヴィド作「ナポレオンの戴冠式」)
~ナポレオン戦争~
(トラファルガーの海戦(1805))
(ネルソン提督に敗れる)、(ヴィクトリー号)攻略に失敗
・(アウステルリッツ)の戦い(~三帝会戦)
0
(オーストリア・ロシア)連合軍を破る。優位が確定。
(神聖ローマ帝国)の消滅・ナポレオンの兄弟を王とする従属国
を配置(スペインなど)。(ロシア)を除く陸の大部分が支配下に。
0

ページ7:

Data
「大陸封鎖令」・ヨーロッパの国々と(イギリス)との貿易を禁止。
それにより(イギリス)を武力を用いずに服従させようとする。
フランスの(産業を守る)ため。
○『1808年5月3日(ゴヤ作)
スペインでは反乱を起こした人々が虐殺された。
・(ロシア遠征):ロシアが大陸封鎖令を破ったことを口実に
侵攻したが38万人の死者を出す大敗北を喫した。
~ナポレオンの敗北~
・(ライプツィヒ)の戦い(ロシア・プロイセン)連合軍に敗北
○(エルバ島)に追放される皇帝を退位(ウィーン会議)始まる
0
(エルバ島)を脱出→再び皇帝となる。
○ワーテルローの戦い)・イギリスを中心とする連合軍に大敗北
ナポレオンの(百日天下)の終了。
○(セントヘレナ島)に島流し1821年に同島で死去・
14~ウィーン会議~
・目的・フランス革命以降の変化への対応。
・オーストリア外相(メッテルニヒ)を中心に(ウィーン会議)を開催。
「会議は躍る、されど進まず」として有名。

ページ8:

No.
Date
○(フランス革命)の影響で(自由)や(平等)の概念が浸透
○(トゥサン・ルーヴェルデュール)が黒人奴隷を率いて蜂起
L (ナポレオン)は鎮圧をはかる。
○(1804)年に(ハイチ共和国)として独立。
~ラテンアメリカ諸国の独立~
・ナポレオンの(スペイン・ポルトガル)支配・南米で(独立運動)が勃発
・独立運動の中心・(クリオーリョ) 封建的大農場(アシエンダ)
を所有するが、本国に利益を奪われて不満を抱いていた。
(シモンボリバル)・コロンビア・ベネズエラ・エクアドル・ボリビア・ペルー
指導
(サン=マルティン・アルゼンチン・チリ・ペルー
・(イダルゴ神父):メキシコ
・独立後の(アメリカ合衆国)(孤立主義)を採る。
・第5代米大統領(モンロー)・アメリカ合衆国とヨーロッパは
。
(相互不干渉)とする。アメリカ大陸に干渉するな!!(モンロー宣言)
(メッテルヒ(ウィーン体制))の介入を防ぐ。
(ラテンアメリカ諸国の独立進展、アメリカ(膨張主義)の思惑
・独立後・(内外での戦争勃発(土地改革)の不実施

ページ9:

Date
0
○
(製鉄技術)の改良・(ダービー)の(コークス製鉄法)
◎転工業から(重工業)への産業革命が拡大
~ 蒸気機関
1712年に(ニューコメン)が(蒸気機関を発明”
地下水のくみ上げポンプ)に活用。
○1765年 (ワット)が(蒸気機関)を改良
人類は(機械力)を手に入れ、(蒸気機関)は様々な
機械の動力となる(動力革命)
○~交通革命~
(トレヴィシック)が(蒸気機関車)を発明(ロコモーション号)
○(スティーブンソン)が(蒸気機関車)を実用化
ム(ロケット号)が(リヴァプール・マンチェスター)間を運航
○フルトン(米))が(蒸気船)を発明
河川の物流を発展させ、(海外貿易)を活発化
~資本主義社会~
○(生産手段)や資金を(資本)として持つ(資本家)
○(労働者):資本家に雇われ、支払われた(賃金)で生活
○産業革命で(資本主義社会)の仕組みが確立。

ページ10:

Date
~資本主義と社会主義~
○(イギリス)から産業革命が西欧諸国に波及。
西欧諸国で(資本主義社会)が確立してゆく
○○資本家と労働者)という二つの社会階層の登場
イギリス1832年の選挙法改正)により(産業資本家)が政治
に参加するように。資本家が(自由主義)を旗印に台頭
~労働運動の発生~
・児童労働・低賃金・長時間労働)などの(労働問題)発生
・労働者たちは(労働組合)を結成(生活や権利)の向上図る
○1830年代に(工場法)を制定
9歳未満の児童労働)禁止(児童と女性の長時間労働)禁止
〇(男子普通選挙)を求めた(チャーチスト運動)発生・1978年達成
~社会主義~
・フランスの(サン・シモン・フーリエ)、イギリスの(ロバート=オーウェン)が唱える。
彼らの思想は(資本家の良心)に頼っていたため「理想」に過ぎない。
L(空想的社会主義)と呼ばれる。
●(ロバート・オーウェン)は紡績業の資本家で(労働者)の環境改善
のため、(工場法)の制定や(ニューラナーク村の社会主義)実験を行う。
また世界初の(幼稚園)を開園。

ページ11:

No.
Date
○後に(資本論)を著す(マルクス)とその友人(エンゲルス)が
(共産党宣言)を発表(私有財産制度)の廃止、(生産手段)
の共有化を主張、また(第一インターナショナル(国際労働者協会))
を結成。「万国の労働者よ!団結せよ!」
~1848年革命~
・(ナポレオン)時代(1799~1815)
・(復古王政)(1814~1830)
L(ルイ18世(16世の弟))が即位(ブルボン家) 復活
・シャルル10世)、議会を解散・言論弾圧(七月革命)へ。
「彼らは(歴史から)何事も学ばず(タレーラン)」
~七月革命(1830年)~
・「民衆を導く自由の女神(ドラクロワ作)」
民衆を導く女性は(自由の女神とされるマリアンヌ)
・七月革命の際に立ち上がった(ラファイエットとルイ・フィリップ)
~七月王政(1830~48年)~
・王族の(ルイ・フィリップ)が(七月王政)を開始
○影響を受け(ベルギー)が(オランダ)から独立

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・フランスでも(産業革命)が本格化
D
(産業資本家や労働者)が(選挙権)を求める。
~二月革命(1848年)~
○(労働者)が(選挙権)の拡大・議会改革を求める
ム(パリで共和主義者・社会主義者)が、武装蜂起
・(ルイ・フィリップ)イギリスへ亡命。
・(第二共和政)が成立(男子普通選挙)の実施
・社会主義者)が史上初めて(政権)に加わったが、
(農民や共和主義者)と対立し排除された。
~ウィーン体制の崩壊~
(二月革命)が(モールス信号)で各国に伝わる。
独立・統一運動が起こる。「諸国民の春」
○(ドイツ)では(三月革命)がおこる・(統一・自由)を求める
○(メッテルニヒ) イギリスに亡命...
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(ウィーン体制)崩壊
○(大ドイツ)主義YS(トドイツ)主義(フランクフルト国民議会)
。
(大ドイツ)主義(オーストリア)を中心にドイツを統一
○(ドイツ)
(プロイセン)
C

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Data
0
(資本家)が貴族などと結んで(国家と産業の発展)をめざす...
・ナショナリズム)・一つの(民族)が一つの(国家(国民国家))を
つくることを理想とする。
・実際は(オーストリア)のように諸民族が混在
。
オーストリア人・ドイツ系/チェコ人・スラブ系/ ハンガリー人・マジャール人
(国民統合)の過程で(少数民族)への(抑圧発生)
○小説「レ・ミゼラブル」・ユーゴー(フランス)
●曲「エチュード(ハ短調)革命」・ショパン(ポーランド)
○連作(絵)「スラヴ叙事詩」:ミュシャ(チェコ)
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~フランス第二帝政~
(レイ・ナポレオン)・ナポレオンの甥で大統領に当選する。
家族には、ジョゼフィヌ・祖母、オルタンス・母、ルイ
ナポレオン・ボナパルト・叔父などがいる
(パリの大改造)に着手、(パリ万博)も行う
・(海外植民地)の建設
(仏領インドシナ連邦)建設
D
(ベトナム・カンボジア)を支配
(フランス)はイギリスに次ぐ(世界第この植民地大国)になる。

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No.
Date
0
普仏(プロイセン・フランス)戦争~
・原因・隣国(ドイツの統一を妨害したため戦争へ
敗戦し、ナポレオン3世)は皇帝を退位
<戦後処理>
①(ヴェルサイユ宮殿)でドイツ皇帝の戴冠式)
②(アルザス,ロレーヌ)をドイツ帝国へ(割譲)
・屈辱的な講和に対し(パリ市民)が蜂起
(パリ=コミューン)が成立
◎史上初の(労働者)による政権
○(臨時政府軍)に鎮圧・(第三共和政)へ
~イタリア統一運動~
・(マッツィーニ)が(青年イタリア)を結成
(レイ・ナポレオン)の妨害で統一ならず...
(サルデーニャ王国)首相(カヴール)を中心にイタリア統一を推進
L(ナポレオン3世)の支援を受ける
・(ロンバルディア、中部イタリア)を併合
見返りに(サヴォイアース)をフランスへ割譲

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Dute
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○
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(ガリバルディ)が(ナポリ王国)を征服(サルデーニャ)に捧げる
(イタリア王国)成立・7861年
初代国王(ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世)
○(ローマ教皇領併合)で統一が完成する。
未回収のイタリア(南チロル、トリエステ)はオーストリア領
~ドイツ統一運動~
(プロイセン)首相(ビスマルク)が推進
(普墺(プロイセン・オーストリア) 戦争
(オーストリア)を破る・多くの領邦が(プロイセン)に味方
「ドイツ統一は鉄と血によってなされる」(ビスマルク)
付いたあだ名が(鉄血宰相)。
○(普仏戦争で(フランス)を破る(1870)
○(ドイツ帝国)成立(1871)・初代皇帝(ヴェルヘルム1世)
・ビスマルク 改革=労働者へのアメとムチ
①(社会主義運動・労働運動)の弾圧
②(医療保険・災害保険)の制定
(三国同盟)の結成(1882)(ドイツ・イタリア・オーストリア)
(フランスの孤立化)を図る。

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No.
Date
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(オーストリア)の変化
L(ハンガリー人が独立運動)を起こす
(自治権)を認め、帝国解体)を防ぐ
○(オーストリア=ハンガリー(二重))帝国
~オスマン帝国の弱体化~
(オスマン帝国)は(18世紀)に入り弱体化
地方の有力者が(徴税権)を握ったため
・弱体化に乗じて(ヨーロッパ諸国)が侵略
(ロシアの南下)政策・(不凍港獲得)を目指す
(露土)戦争で(黒海北岸)と(カフカス地方)を併合
・フランス・(ナポレオンをエジプト)に派遣(エジプト遠征)
~諸民族の独立
○多民族国家の(オスマン帝国)が弱体化
(非トルコ系族)が(独立)を求めて反乱を起こす
(アラブ地域)や(バルカン半島)などで(独立運動)活発化

ページ17:

Dale
○
~エジプト~
(ナポレオン)との戦争で活躍した(ムハンマド・アリーが実権握る
。(富国強兵・殖産興業)に取り組む
ム(ナイル川流域の(灌漑水路)を改良
(スーダン)を征服(アラビア半島 ワッハーブ王国)を滅ぼし自立
(オスマン帝国)と対立し、これを破り(シリア)を占領
~
バルカン半島~
○(セルビア)/19世紀初めに反乱。(自治権)を持つ(セルビア公国)として独立
○(ギリシア):(英仏露)の支援の下(ギリシア独立戦争)を戦い
1830年に独立
・「キオス島の虐殺」(ドラクロワ作)
~オスマン帝国の近代化~
0
(セリム三世)の軍事改革
旧式の(イェニチェリ)を廃止し、(近代軍隊)を組織
◎仕事と待遇)を奪われた(イェニチェリ)によって
(セリム三世)は幽閉され、最終的に殺害された。
○1839年(タンジマート(恩恵政策))
(国家体制)そのものの改革目指す。

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No.
川
◎これまでの非ムスリム
(ジズヤ(人頭税)を納めれば生命・財産の安全・信数
の自由を保障されていた。)
・「タンジマート」でどう変わった?
・(西欧の人権思想を受け、ムスリムと非ムスリムの
権利・義務は平等とされた。)
~アジア初の憲法~
・1876年(ミドハト=パシャ)が(憲法)を発布。
・議会)の開設・議会制民主主義)を目指す
(大日本帝国憲法)よりも13年も早く(ミドハト憲法)を発布
L(アジア初の憲法
111
しかし、自らの権力の復活をもくろむ(スルタン)の
(アブドュル=ハミト2世)によって追放・処刑される。

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0
~エジプトの改革運動~
○(ムハンマド=アリー) 朝の改革
(ムハンマド・アリー)は(オスマン帝国内)で自立し、
(西欧諸国と対等な)新国家の建設を目指した。
~スエズ運河の開通~
○(地中海と紅海)をつなぐ(スエズ運河)を建設
ム(イギリス~インド)の航行日数を(喜望峰周り)のルート
に比べ約40%短縮した。
エジプトは(西欧とアジア)をつなぐ重要拠点に!
エジプト、運河建設のために(英仏)から莫大な借金...
○エジプトの主要輸出品・(小麦、綿花)
(関税自主権)がないため、次第にエジプトの作物は
売れなくなり(価格下落)、そのため借金返済出来ず...
○スエズ運河の(株式)を(イギリス)に売却
「It is just settled」 you have it, Madam.」
(英首相ディズレーリ・階下あれはあなたのものです。)

ページ20:

Date
~イスラーム諸国の危機~
○(アフガーニー)の(パン・イスラーム)主義
ム(全ムスリム)が団結してヨーロッパ勢力に対抗する主義。
○エジプトの軍人(オラービー)、エジプトの現状を打開するために
革命を起こす。(オラービー革命)
b(イギリス)の立場から見て“反乱”とも表記される。
0
(イギリス)が派兵(オラービー)を捕らえ、革命失敗
(エジプトを保護国)とする。
・オラービー「エジプト人のためのエジプト」
~スーダンの反乱~
○1821年から(ムハンマド=アリー朝)の支配下
(奴隷)を含む、多くの人々が苦しむ
○(マフディー(救世主))を名乗る(宗教者)が(エジプト)に反乱
次いで(イギリス)へも反乱
○(ゴードン将軍(英))は反乱で殺害される
最終的に(イギリス)に鎮圧され、(スーダン)は
英の植民地になる。

ページ21:

Date
・脱出できなかった理由
・理由①(当時の自衛隊法では、自衛隊の
海外派遣はどのような理由でもできなかった。)から
・理由②(日本政府は当時唯一の国際線を持つ
日本航空に邦人救出を依頼したが、
自衛隊の援護を得られない状態での
民間機の戦地飛行は危険として日本航空
は飛行を拒否した)から
○そこで(トルコ政府)が日本のために航空機を飛ばしてくれた。
~イギリスとムガル帝国の関係
○1600年・(東インド会社)設立
インド産の(綿布や茶)の(輸入貿易)を行う.
◎英の拠点(マドラス・ボンベイ・カルカッタ)
・フランス・イギリスに対抗し(ポンディシェリ・シャンデルナゴル)
拠点を建設。

ページ22:

Dalia
~ムガル帝国の植民地化~
○1757年にムガル帝国内での英仏の勢力争いから
戦争が発生(プラッシー)の戦いへ
・イギリス軍34人 VS フランス・ベンガル連合軍 7万人
。
(イギリス)は(フランス)勢力を排除し(ベンガル)地方の
(徴税権)を獲得・英のベンガル支配
~全インド支配への道~
0
南部(マイソール王国)を保護下に置く
当時、インド最強の軍隊を持つ、4度にわたり激しく
戦うが(イギリス)に屈服。
中部(デカン高原)の(マラータ同盟)を服属
(ラクシュミー・バーイ)らが激しく抵抗
・イギリス軍がなかなか(ジャーンシー)を攻略できなかった
・「理由は十分すぎるほど明らかである。彼らは(王妃のため)、
そして自分たちの国の独立のため)に闘っているのだ。」
・北西部(パンジャーブ地方のシク王国を滅ぼす
19世紀半ばまでに(直轄統治領)と間接統治の
(藩王国)を支配し、インド全域を植民地化

ページ23:

No.
Date
0
~インド大反乱~
1857年(東インド会社)に雇われたインド人兵士(シパーヒー)が反
◎反乱の理由(新式のエンフィールド銃の弾薬包に
豚と牛の脂が塗られているという噂が流れた)から。
L・ヒンドゥー教・(牛は神聖な生き物) イスラーム(豚肉は汚らわしい)
・(農民や手工業者)も反乱に参加、全インドに波及
L(インド大反乱)(ムガル皇帝権)の復活を宣言
・(イギリス)、かろうじて反乱を鎮圧する
O
(ムガル帝国)を滅亡させる
。
。
(東インド会社)を廃止・英国による(直接統治)
(英領インド帝国)成立、(皇帝・ヴィクトリア女王)
~植民地下のインド~
○(インド国民会議)結成後の(国民会議派)
(ヒンドゥー教徒の知識人階層)が主体
(西洋の良いところ)を取り入れ、(インドの悪習)を改める。(exサティー廃止
ローイ・「カースト制度や幼児婚、サティー(寡婦殉死)は
廃止しなければならない!!」

ページ24:

Date
。
こ
~オランダの植民地~
・(ジャワ・スマトラ(現在のインドネシア)などを支配
(バタヴィア)を拠点に日本と貿易
・(サトウキビ・コーヒー・藍)などの(政府栽培制度)を実施
(プランテーション農業)
○20世紀初頭に(オランダ領東インド)成立
~イギリスの植民地~
・(ビルマ:マレー半島)などを支配
・1879年に(シンガポール)を買収・アジア最大の貿易港になる
(アルマ戦争)・ビルマを(英領インド帝国)に併合
○(マレー半島・北ボルネオ)併合(英領マレー)形成
~フランスの植民地~
・(インドシナ(現在のベトナムー帯))を支配
・1802年(フランス)は(阮朝)の建国を支援する
(朝)は(清)を宗主国とし、保護下に入る
・1884年 (フランス)の(阮朝)侵略・(清仏戦争)で清を破る
1,1887年(阮朝)を保護国とし(仏領インドシナ連邦)設立

ページ25:

Date
~東南アジアの民族運動 ~
・(ベトナム)・(ファン=ボイチャウ)が(東遊運動)を起こす
(日露戦争)に勝利した(日本)に武力援助を求める
・人材育成のため(日本)に留学生を派遣
~フィリピンの民族運動~
○(ホセ・リサール)が穏健的な独立運動を指導
危険視され、銃殺される。
○(アギナルド)が独立戦争を指導し、大統領に。
・しかし、フィリピンは独立できず...
○ 1898年(米西戦争)
・スペインの(キューバ独立弾圧)にアメリカが介入し、
アメリカ・スペインの全面戦争に発展。
L(アメリカはアギナルドと協力し、フィリピンでスペインと戦う)
(フィリピン・グアム)などはアメリカの植民地に
(11
◎(アメリカ)はフィリピンの独立を認めなかった。

ページ26:

Date
0
1
タイ王国(シャム王国)~
・東南アジアで唯一(独立)を保ち続ける。
理由1・タイは(英仏の植民地抗争の緩衝地帯)
に位置しているから。
理由②(チュラロンコーンキ)の下で(近代化政策)を進め
近代的な(中央集権の主権国家)になった。
~東南アジアの変化~
・経済構造の大きな変化
大陸部の(米)、島嶼部の(砂糖、たばこ、すず,ゴム)
などの(モノカルチャー経済化)が進展。
(モノカルチャー経済)・国の経済がごく少数の一次産品
の輸出に頼っている経済のこと。
~清王朝とイギリス~
O
イギリスで茶の需要が急増し輸入超過となる。
(茶・絹)
【片貿易】イギリス
青
(銀)
O
自国内に巨大な市場を持つ清には、イギリス製品が
売れない→(銀)が流出し続ける。

ページ27:

No.
Date
~アヘン戦争~
三角貿易】
[イギリス]
①茶絹
②銀
インド
③綿織物
④ 銀
⑤アペン
⑥銀
◎(インド)から清に(アヘン)を密輸することで(銀)がイギリスに帰る
O
(三角貿易)で清に大量のアヘン)が流入
(アヘン(死に至ることも)中毒者)が大量発生!
○(林則徐)・「アヘンの(使用・売買、輸入の一切と禁止とする!」
○
アヘンを禁止し、密輸アヘンを処分した。
Ⅳ(イギリス議会)
○(パーマストン)「アヘンを処分しただと!!イギリスの財産に対する
侵害および自由貿易の妨害だ!!(開戦論)」
○(グラッドストン)「アヘンはそもそも違法な薬物ではないか、これは
「不義にして非道の戦争だ!(反戦論)」
○(アヘン戦争)・英鉄鋼戦艦ネメシス VS 清ジャンク船艦隊
(イギリス軍)が圧倒的な科学力・軍事力で(清軍)を圧倒!

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Date
・(賠償金を元手に日本の産業は発展を遂げる
○日清戦争後の日本
→清の庇護を失った(閔妃)は(ロシア)に接近
(三浦梧楼)日本公使 (閔妃)暗殺
~変法自強運動~
〇(康有為梁啓超)5(変法)派が(光緒帝)の下で
政治改革を開始(近代化)を目指す
・(康有為)・「明治維新のように国会を開設し、(憲法)
を制定するなど(根本的に)改革しなければ!」
○(西太后)ら(保守)派が(変法)派を弾圧 (戊戌の政変)
・(戊戌の政変)で(光緒帝)は幽閉(康有為・梁啓超)
は日本に亡命→改革は失敗に終わる...
~義和団事件~
・(戊戌の政変)後の清
外国勢力の侵略が本格化、沿海各地に(租借地)
や (租界)を設ける。(租借地)は期限付きで、外国に
貸した土地や(租界)は期限なし。(上海)はイギリス支配下に
C
。

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Data
○(義和団)が外国勢力・キリスト教を敵視
「清滅洋(清を抜け、西洋勢力を滅ぼす)」
をスローガンに(教会)などを襲撃。
○(清)は義和団に呼応し(西洋列強に宣戦布告)
○列強は(8ヶ国連合軍(英・米・露・インド・独・仏・墺・伊・日本))
を派遣・(清・義和団)の軍を鎮圧
○清は(北京議定書)に調印
。
列強の(北京駐兵)を認める
・列強に合計(4億5000両)を支払うこと
清の半植民地化がさらに進むことに...
~日露戦争(1904~05)~
日本とロシア・朝鮮の権益/英とロシア・中央アジアの権益
・イギリス、日本を支援(=日英同盟)
・(ドイツ・フランス)はロシアを支援 日露戦争へ
●(日本海海戦)では(東郷平八郎)率いる連合艦隊が
ロシアのバルチック艦隊を壊滅させた。
・日露戦争は両者一進一退戦争継続の限界が近づく

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No.
Date
・日本兵力の大幅な損耗莫大な出費など
●ロシア・(血の日曜日)事件が結果(ロシア革命)へ
・(アメリカ)の調停で講和が結ばれた。
~ポーツマス条約~
°
日本への(南樺太)の割譲
○(遼東半島南部)の(租借権)を日本に認める
(南満州鉄道の利権)を日本に譲渡する
O
日本の勝利が認められた。
~日本の台湾・朝鮮支配~
・台湾・1895年に日本領となる・(総督府)を置き統治
・朝鮮・1897年、大韓帝国と国名を改める
0
0
数度の(日韓協約)を経て保護国化
・(抗日義兵闘争)を弾圧・(安重根)が(伊藤博文)暗殺
・革命か、改革か~
~
(革命)派・(華僑)留学生中心。清を打倒し共和政を目指す
(改革派・(改革)によって(立憲君主制)を目指す
(康有為)変法派も(改革派を支持
(科挙)の廃止(近代軍)の創設(憲法)の制定など
°
C
。
。
°
。
°

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~
辛亥革命勃発~
Date
・1905年、革命派が(東京)で(中国同盟会)を結成
総理に(孫文)が就任!
◎「三民主義(孫文が提唱)」
○(民族主義・(満州族(清))の打倒
・(民権)主義・共和政の実現
・(民生)主義・土地均分化
○(清朝)が(鉄道)を国有化
(鉄道)敷設の資金を外国から借りようとする
「このままでは鉄道が外国に取られてしまう!」
・漢民族)の地方有力者が鉄道国有化に反対!!
(四川暴動(1911年))に。
・暴動に呼応し(武昌蜂起)が発生・(辛亥革命)
・(華南)を中心に14省が独立宣言
P
(中華民国)の建国を宣言
○(臨時) 大総統・(孫文)/首都・(南京)

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No.
Date
オツ
!!
!! great!
清側の対応~
・革命)派の鎮圧のために将軍(袁世凱)を登用
(袁世凱)、清を裏切り(臨時大総統の地位)と引き換え
に(直統帝)を退位させ、(清を滅ぼす)。
~清の滅亡~
(袁世凱)の手により清王朝は滅亡
中華民国は(アジア最初の共和国)となる
○(袁世凱)、首都を(北京)に移す。
(国民党)を弾圧して(皇帝)を自称する(帝政)
〇(袁世凱)の独裁に反発して各地の(軍閥)が離散
袁世凱の死後(軍閥)同士で抗争
○列強各国はそれぞれの軍閥を支援し中華民国での
(利権獲得)を狙う→分裂状態に...
・(張作霖爆殺事件(1928))なども起こる。

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Date
○(ベンガル分割令)・ベンガル地方を(ムスリム)が多い東の州
と(ヒンドゥー教徒)が多い西の州とに(分割統治)
ム(ムスリムとヒンドゥー)を分離することで(イギリス)に対する
反対運動を抑えようとした。
・インド国民会議側(反英闘争)へ
こ
(スワラージ(民族自立))(スワデーシー(国産品受用))を掲げる。
・(ムスリム)側・(全インド=ムスリム連盟)を結成
(ベンガル分割令)を支持し、(エンドゥー教徒)と対立深める
~東南アジアの多様性~16
・東南アジア地域は複雑な(民族構成)で(多様性)
に富む地域
◎・仏教・(タイ、カンボジア)など、イスラーム(インドネシア)など
・キリスト教・(フィリピン)など
~スペインの植民地~
○(フィリピン)・16世紀後半から(マニラ)を拠点に支配
・新大陸産の(銀)を用いて(織物)の(中継貿易)を行う
・1898年の(米西戦争)でフィリピンは(アメリカ)の植民地に.

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~恐怖政治~
・国民公会で(山岳派)が主導権を握る。
0
。
ム(ロベスピエール・清廉の土)が(恐怖政治)を行う。
(ダントン)や(ラヴォワジェ)など4万人が処刑された。
・(テルミドール9日のクーデタ(1794))
・(反ロベスピエール派)によって恐怖政治打倒・(ロベスピエール)処刑
(総裁政府)樹立・権力を5人の総裁に分立。
"フランス革命”により(身分制社会)が破壊され、(封建社会)
D
から(近代市民社会)へと転換した。
~ナポレオンの時代~
(ナポレオン・ボナパルト(コルシカ島出身)・国民的英雄となった(ナポレオン)
(フランス革命)を終結させ、フランスを軍事大国にした。
(イタリア遠征)で活躍。2万5千の軍でオーストリア軍7万を破る。
オーストリアが降伏し、(第1回対仏大同盟崩壊)
・(エジプト遠征)・イギリスとインドの連携を絶つため遠征。
この遠征で(ロゼッタストーン)が発見された。
・ブリュメール 18日のクーデタ)・第2回対仏大同盟でフランスに危機
・ナポレオン(総裁政府)打倒。新たに(統領政府)樹立

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Date
~南京条約~
・第2条(広州上海などの五港開港する)事
・第3条(香港島をイギリス)に割譲する事
・第4条・アヘンの賠償金2700万銀ドル支払う事
・第5条(公行(特許商人の組合))を廃止する事
~太平天国の反乱~
○多額の賠償金は清の国民を車税で苦しめた。
(洪秀全)が広西省)で反乱を起こす。
・「滅満興漢(満州族の清を倒し、漢民族の王朝を復興)」
●(洪秀全)は(太平天国)建国、南京占領し首都(京)に。
~太平天国の改革~
・I(辮髪)の廃止←強制されていた(満州族)の風習
・II(纏足)の禁止←(漢民族)の伝統的な悪習
・Ⅲ(土地の均分)

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~アロー戦争~
○清王朝は(太平天国)を鎮圧できなかった...
(英・仏)が利権拡大を目指して清に宣戦!
1・(天津条約)・外国使節の北京駐在を認めさせる。
○(北京条約)・(九龍半島南部)をイギリスに割譲
清国内でのキリスト教布教を認める。
~太平天国の滅亡~
・利権を手に入れた(英仏)は太平天国鎮圧に協力
英国人(ゴードン)が活躍
(曾国藩)や(李鴻章)ら漢人の義勇軍が太平天国を破る。
○1864年(洪秀全)の死をきっかけに太平天国は滅亡
~同時期の日本~
・アメリカの(ペリー来航・1854年(日米和親条約)
0
1858年(ハリス)来航(日米修好通商条約)
◎どちらも日本に不利な(不平等条約)
・(明治維新)を起こし、(近代化に取り組む)
・琉球を(沖縄県)とし(台湾・朝鮮)への進出うかがう。

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~西洋の衝撃~
(洋務運動)・(曾国藩・李鴻章)らが西洋技術を
取り入れて(清の近代化を図る。
・技術は導入されたが、(西欧思想)は導入されなかった。
→(明治維新)との差
尚(明治維新)・(近代)思想(政治)制度(法)制度
0
などと西洋化し、根底から近代化した
~朝鮮の開国~
(朝鮮王朝(李氏朝鮮))国内の権力闘争
国王高宗の父(大院君)と(王妃閔妃(明成皇后))が争う
朝鮮を狙う(日本・漬・ロシア)が介入する。
○日本、鎖国を続ける朝鮮に開国を迫る
(江華島事件)を口実に(日朝修好条規)締結
朝鮮国させる
朝鮮の国政を巡って(大院君・閔妃)が争う
・土午軍乱)・事大党の軍人が(閔妃)を襲う
b(大院君)は捕えられ、(閔妃)政権復活

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~産業革命~
〇78世紀の(イギリス)で発生。その理由は?
・17世紀の(市民革命)により経済活動が自由に。
・(植民地)との貿易で(資本)が集積・(農業革命)で人口増加
(工場労働)で必要な(労働力)が増えた。
・当時需要が増し、(インド)から輸入されていた(綿織物(キャラコ))
を(国内生産)しようとする。(綿織物)産業から(産業革命)が発生!
○(飛び杼)の発明(綿織物)の生産量が(3)倍近くになり、
だれでも(簡単)に、(均一)な布を織ることができるようになった。
○識布の効率化で糸不足に。(紡績機)が発明される。
動力も人力から(水力・蒸気機関)へと進化。
綿織物は工場で機械により大量生産されるように。
||
紡績
・(ジョン・ケイ)・「飛び杼」
布作りが簡単になった。
○(カートライト)「力織機」
蒸気機関を用い、半自動で
布を織り続ける。
○(ハーグリーヴス)「ジェニー紡績機」
1度に8本の糸を紡ぐことができる。
○(アークライト)「水力紡績機」
水力で太く強い糸を紡ぐ。
・(クロンプトン)「ミュール紡績機」
ジェニーと水力を合体させた。

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・(甲申政変)(壬午軍乱以降、閔妃は(清)に接近
・開化派の(金玉均)が蜂起するも失敗
~経済混乱~)
・朝鮮開国によって(安価な外国製品)が流入
元々弱い朝鮮経済は大混乱に陥る
(甲午農民戦争(1894)(東学党)指導で農民蜂起
(日本・清)の両国が鎮圧に軍を派遣する
(日清戦争)へ
○(日清戦争)では(李鴻章)が育てあげた(北洋)・艦隊
と日本の連合艦隊が戦い、日本が圧勝(黄海海戦
~下関条約~
・朝鮮王朝の独立を認めること
・(遼東半島・(台湾)(澎湖諸島を割譲する事
・(賠償金)2億両を支払うこと.
清の開港場での(製造業経営権)の承認
(三国干渉)により日本は(遼東半島)を返還
ロシアが(遼東半島)を占領、後に(日露戦争)へ

Comment

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文字がとても見やすいですね!中の人もペンで書いてみようかなと思いました!見応えたくさんのノートをありがとうございます!

Sternenfest🌟
Author Sternenfest🌟

コメントありがとうございます!
私は普段からノートは全てペンで書くようにしています。字を鉛筆よりも濃く書けるというメリットがあり、ノートを見たときに情報がはっきりと目に入るので、ペン書きを採用しています。

熙宇じょ
熙宇じょ

外国人の高校生として、あなたの字は本当にきれいだと思います。それはペンで書かれていますか?とても強い