Contemporary writings
高中
已解決

高一国語 現代文 読解
四角で囲んだ『けれどもまた』なぜ逆説の意味が含まれるのですか?文脈的に『また』だけでも十分だと思いました。わかる方よろしくお願いします🙇

3 「アメリカ」という、いまの世界でもっとも有名な名前がある。これは誰もが知るように、コロン ブスの冒険によって「発見」された大陸に、ヨーロッパ人がつけた名前である。当初はそれは、ヨーロ ッパ人にとって見慣れぬ人種の住む、しかし魅惑に満ちた未知の天地を指していた。けれども、やがて それはヨーロッパ人が移り住む「新世界」を指す呼称となる。 まり すでに存在していて「発見」さ れたものにつけられた名前は、いつの間にか、そこに新たに作り出されるひとつの世界の名前になっ たのである。そのとき、命名は②ひとつの設定行為へと変化する。 "の認識を別の 4 そのように設定されたものとしての「アメリカ」は、一六世紀以前にはまったく存在しなかった。 にもかかわらず、たとえば考古学が「アメリカの先史時代」などを語って憚らないのは、この名の示す 内実のすりかわりに無頓着だからである。けれどもまた、この名が何かを設定したということも、名前 が大地(大陸)の存在にもたれかかっているために見えにくくなる。そのうえひとたび名前が流通し だすと、人はその名のもとに物事をすでに存在するものとして語るようになり、名づけの重大さは忘 れられてしまう。とりわけ、その名づけが何をなし、何を創始したのかは、名前の流通によってかき消 される。
【名づけと所有】 A象徴に関わる行為のなかで「名をつける」ということほど重要なこともまたとない。子どもに名 をつける。それは生まれたばかりの、まだ人とも呼べない存在に象徴的な産着を着せ、その子を親子の 系譜的な関係に繋ぎとめると同時に、言葉によるコミュニケーションの連鎖のなかに座を与えること でもある。そのとき、誰が名をつけるのか、どう名づけるかは、ともに大きな意味をもち、その名で呼 ばれることになる存在の在り方を左右する。 2 ただ、子どもの名づけは必ずしもB恣意的なものではなく、多かれ少なかれ社会的な慣習に従って いる(今ではそれが崩れているが)。 その限りでは、名づける側は「全能性」を振るうということには ならない。けれども、別の場面では名づけはほとんど存在を与える行為になる。名前がなく、呼ぶこと さえできないものは存在しないに等しい。名を与えられることで、ものは形をもって存在し始める のだ。その意味で、名を与えるとは言葉の支える存在の秩序のなかに場を与えることでもある。だか ら、たとえば聖書でも名づけることは神の役目だった。このことはまた、言葉の根本的な力にも関わっ ている。「光あれ、すると光があった。」(「創世記」)。この冒頭の呼びかけは神による召喚を意味してい るだけではない。光を呼び覚ます。だがそのためには、まずそれが「光」と呼ばれなければならず、 そ 名指されてはじめて光は召喚しうるものとなる。だから名づけと召喚は同時になされ、それが存在 への召命、つまりは創造行為となるのである。そうと誤認することにんをつけ 3 「アメリカ」という、いまの世界でもっとも有名な名前がある。これは誰もが知るように、コロン ブスの冒険によって「発見」された大陸に、ヨーロッパ人がつけた名前である。当初はそれは、ヨーロ ッパ人にとって見慣れぬ人種の住む、しかし魅惑に満ちた未知の天地を指していた。けれども、やがて それはヨーロッパ人が移り住む 「新世界」を指す呼称となる。つまり、すでに存在していて「発見」さ れたものにつけられた名前は、いつの間にか、そこに新たに作り出されるひとつの世界の名前になっ 人の認識を別の たのである。そのとき、命名は②ひとつの設定行為へと変化する。 4 そのように設定されたものとしての「アメリカ」は、一六世紀以前にまったく存在しなかった。 ぱか にもかかわらず、たとえば考古学が「アメリカの先史時代」などを語って憚らないのは、この名の示す 内実のすりかわりに無頓着だからである。 この名が何かを設定したということも、名前 大地(大陸の存在にもたれかかっているために見えにくくなる。冬のう ひとたび名前が流通し だすと、人はその名のもとに物事をすでに存在するものとして語るようになり、名づけの重大さは忘 れられてしまう。とりわけ、その名づけが何をなし、何を創始したのかは、名前の流通によってかき消 される。 5 正確に言うなら「アメリカ」という名は、ドイツの地図製作者マルティン・ヴァルトゼーミュラー がある書物のなかで(一五〇七年)、見出だされたのは未知の大陸だと言明したイタリア人航海者アメ リゴ・ヴェスプッチの功績を記念して、「新大陸」を彼の名にちなんで命名することを提唱し、それが 受容されて以来使われるようになったものだ。ところがこの名づけは単なる名づけにはとどまらなか った。「アメリカ」という名前は、それ以前にあったかもしれないその他のあらゆる名前を抹消してし まった。だからいまではわれわれは、一六世紀初頭に「アメリカ」と呼ばれるようになる以前のあの地 名前を知らないぺそういう抹消の効果を、この名づけはもったのである。 もちろん、かの地の先住民は大陸を総称する③名をもたなかったということもありうる。つまり、 「大地」とか「世界」といった呼び方はあっても、自分たちの生存の舞台となる世界の広がりそのもの を、ひとつの名前で呼ぶ習慣はもたなかったかもしれないということだ。それは彼らにとって、限定で きない、指定する必要のない、むしろ逆に彼らを包摂する広がりだったのだから。けれどもその

解答

✨ 最佳解答 ✨

その前の文章では
・「アメリカ」という名前が大地(大陸)の存在にもたれかかっているために、名前が何かを設定したということが見えにくくなる
・けれどもまた、名前が何かを設定したということも事実である

というようにぱっと見矛盾してるよう見える2つの事柄を述べているわけです
この2つの事柄は、それぞれ独立しているんですが
・名前がすでに存在するものとして認識されることで、設定行為が見えにくくなる
・しかし、実際には名前は何かを設定している

このように対比についても述べています
そのため、「けれども」を使うことによって単に2つの事柄を並べるだけじゃなくてその対比関係を強調してより深い意味合いを表現しています

納得しました!ありがとうございました😊

留言
您的問題解決了嗎?

看了這個問題的人
也有瀏覽這些問題喔😉