✨ 最佳解答 ✨
フセイン・マクマホン協定(1915)
イギリスはオスマン帝国支配下に置けるアラブ人居住地の独立を支持・・・①
サイクス・ピコ協定(1916)
イギリスはフランス・ロシアと秘密外交を行い、オスマン帝国領土の三国間での分割を確約(*パレスチナは国際管理下)
・・・②
バルフォア宣言(1917)
"先住民(アラブ人やパレスチナ人)の権利を侵害しない"上で"ユダヤ人居住地(National Home)"の確約を旨とした書簡をユダヤ人コミュニティリーダー・ロスチャイルドに送る
・・・③
世界史的な解釈をすれば、①と②はアラブ統一国家を画策していたアラブ人にとって独立後もフランスの影響力が及ぶという矛盾があり、①と③はアラブ人とユダヤ人の住み分けが明確ではなく矛盾が生じ易く、②と③は国際管理下においてユダヤ人悲願のユダヤ人国会建設が困難であるという矛盾があります。
…というのが教科書や先生方が仰る"矛盾"ですが、全て矛盾ではないと解釈も可能です。矛盾として挙げられるものは全てイギリスが明確に確約したものはありません。全ては約束した相手方の過大な望みとイギリスの不誠実さが招いたものです。三枚舌外交と呼ばれるのは矛盾というよりもイギリスの不誠実さです。
なるほど!!
時間が経ってしまって回答来ないんじゃないかって思っていたところに分かりやすい解説を本当にありがとうございます!!助かりました😭