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もたない。
次の文章を読んで、後の問に答えよ。 (配点 六十点)
なぜ人類は首長や王といった政治リーダーを必要としてきたのか? ここまで南米先住民、 メラネシア、アフリカといった、
に集団から託されているにすぎない、ということだ。
さまざまな時代や地域に共通するリーダー像をたどってきた。 そこからみえてきたのは、リーダーは集団のために、集団に貢献
するかぎりにおいて、ある種の特権や権威を
A
ふくしゅう
フランスの人類学者ピエール・クラストルは、アメリカ先住民アパッチの首長ジェロニモの物語を紹介している。 メキシコ軍
から襲撃され、ジェロニモの家族も皆殺しにされた。アパッチは、ギャクサツへの復讐を誓い、その戦いの指揮を勇敢な戦士
だったジェロニモに託す。戦いはアパッチの大勝利に終わった。映画や小説にとりあげられ、白人への抵抗戦争の英雄として知
られるジェロニモだが、話はそこで終わらない。
アパッチにとって「復讐」は勝利によって成し遂げられたが、ジェロニモは、さらなる復讐を欲し、あらたなエンセイに仲間
を誘う。しかし、さらなる復讐は、もはや集団の目標ではなく、ジェロニモの個人的目標に変わっていた。その欲望は人びとに
拒絶される。
クラストルは、戦士としての能力で民族の道具となったジェロニモが、今度は民族を彼の道具にしようとして失敗した、とい
う。「北米最後の偉大なる戦争の首長」であるジェロニモが英雄になれたのは、集団の目的に貢献しうるあいだだけだったのだ。
首長のいうことにだれも服従の義務がない。権限をもたない政治リーダー。なぜそれが可能なのか、権限をもつことがリー
ダーの条件だという常識にとらわれているぼくらには想像しがたい。 クラストルは、首長の役割についてこう説明する。
首長は、個人どうし、家族間、リニジ 〔出自集団]間に生じうる係争を解消することを任務としており、秩序と協調をとり
もどすのに、社会が彼に認めている威信以外に手段をもっていない。だがもちろん威信は権力を意味するものではなく、首
長が調停者としての責を果すのに有する手段は、言葉の独占的使用に限られているのだ。
はた
首長は裁判官ではない。対立する陣営に調停案を示したり、どちらかに肩入れして擁護したりするわけでもない。そういう意
味では弁護士とも違う。首長はその弁舌で人びとに平静をとりもどし、非難の投げあいをやめるよう訴える。互いに理解しあい
平和に暮らしていた祖先をまねるよう説得する。 そこでの道具は「言葉」だけだ。
首長は社会のなかで生じるさまざまな問題を解決するための役割を担う。威信と言葉以外につかえる強制力をともなう手段は
い。日本だと、白か黒か、はっきり決断を下すのがリーダーの役割だと考えられている」「決められる政治」が政治家の
キャッチフレーズとしてもてはやされるくらいだ。
だが、リーダーが決断して意思決定するだけであれば、それは民主主義とはほど遠い。首長たちは弁舌によって人びとを説得
し、納得させようとする。つまり決断を下すのではなく、人びとの同意をえることがリーダーの仕事になる。 それは、みなが同
意できる状況をつくれなければ、集団としてのまとまりを維持できなくなるからだ。
政治家が主権者によって選ばれ、その同意の範囲で政治的な役割をはたす。それを真の意味で実践していたのは現代の民主主
義をかかげる国家ではなく、「未開社会」とされた国家なき社会だった。
人びとは、リーダーが集団の目標に貢献しているのか、つねに関心を寄せ、そこから道をはずれると、さっと同意をヒルガエ
す。国家が人びとを監視する監視社会とは逆に、リーダーがつねに人びとから監視されているのだ。
なんのために国家があるのか。 クラストルは、「未開社会」が国家をもたないのは、国家をもつ段階に至っていないからでは
なく、むしろあえて国家をもつことを望まなかったからだという。一部の者だけが権力をもち、人びとを支配するためにその権
力がつかわれることを拒絶したのだ、と。
国家ができると、その社会は支配する者と支配される者とに分かれてしまう。クラストルは、国家権力を生みだす根底には、
権力への欲望とともに、隷従への欲望があると指摘する。一度、権力関係が生まれ、社会が支配者と被支配者に分化してしまう
と、もはやあともどりできなくなる。だから国家なき社会では、あえて首長に
のようにふるまうことをソシしてきた。
B な権力をもたせないようにし、専制