北イタリアは元々、とても厳しい環境です。南イタリアと比べても酪農が中心でしたし、そういった背景から都市国家が発展しました。当然ですが、それぞれの都市は地方分権を求めます。その結果、神聖ローマ帝国に組み込まれても教皇派が多かったりして、中央集権は難航しました。
神聖ローマ帝国は、顕著な中世的封建制が見られました。ドイツ諸侯のそれぞれに特権が与えられており、またローマ王(ドイツ王)になるには選帝侯会議を通さなければいけませんでした。つまりはカリスマ性がない限りは神聖ローマ帝国皇帝は諸侯に機嫌を伺う必要があったのですね。強力なリーダーが生まれにくい神聖ローマ帝国では、次第に国という枠が崩れていったのです。
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