✨ ベストアンサー ✨
「む」の推量は、まだ実現していないことを想像する意を表します。それに対して、「まし」の推量は、一般的な推量の意を表します。
例)む が推量のとき
何のたのしびかあらむ。(徒然草)
(何の楽しみがあるだろうか)
かのもとの国より迎へに人々まうで来むず。
(竹取物語)
(あのもとの国から迎えに人々がやって来るだろう)
例)まし が推量のとき
我が身の事知らぬにはあらねど、すべきかたのなければ、知らぬに似たりとぞいはまし。(徒然草)
(自分自身のことを知らないわけではないけれど、なすべき方法がないから、知らないのと似ているというのだろう)
この2つの例を見てみると、
「む」のだろうは、まだきてない未来について「だろう」と言っています。
「まし」のだろうは、「あーそうなんだろうなー」ってかんじの「だろう」です。
ただし、「まし」がただ推量として用いられることはめったにありません(高校の先生がいってた)。多くが、反実仮想で持ち入れられるようです。
分かりやすくありがとうございます!
「まし」が推量として使われることが滅多にないことを覚えとけば結構便利だと思います!