日本史
高校生
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条坊制、都城制の違いとそれぞれの説明をお願いしたいです!

回答

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都城制は律令制度を取り入れて中央集権的な国家形成に動き出した倭国が採用した中国の制度です。最初に採用したのは藤原京からとされています。これについては、藤原京以前との違いで理解するといいと思います。藤原京より前は、大王のいる王宮を中心に周辺に王権の施設はありましたが、大王を支える中央豪族はそれぞれで邸宅を構えていました。それに対して藤原京は大王の住む宮に王権の施設が建てられ、豪族たちは王宮の周りの居住区に住み、毎朝、王宮に出勤して政務を行います。このように、都のエリアの中に王宮と貴族やその他の人々が住む京がどちらもあるのが特徴です。これを都城と言います。律令国家がモデルにした唐の長安は都市が城壁によって囲まれていますが、日本には城壁はありません。
条坊制は貴族や庶民の住むエリアを碁盤の目状に東西・南北に走る道路で区画した仕組みのことをいいます。教科書の平城京や平安京の図を見ると、南北に走る朱雀大路から東西に一坊大路、二坊大路・・・、東西には一条大路、二条大路という道路があることがわかります。

meee

ありがとうございます!もし良ければ、図解していただくことはできますか??、こういうことですか???

喜重郎

上の方の図解はそれで良いです。周辺の知識を含めて説明をしてしまいましたが、都城制というのは律令国家が作られ、たくさんの官人たちが政権を支えることになるため、天皇の住む場所と政務を行う官庁からなる宮と官庁で働く貴族や官人たちの住む京からなる都市のしくみを都城制と言います。それ以前は大王の住む王宮、そのもとで中央の有力豪族が政務を分担しているので、日常的な政務は豪族の邸宅でおこなっています。そうなると、中央集権ということでは、都城制の方が天皇のもとに権力が集中していると考えることができます。
下の方の図解は教科書の平城京や平安京の図を参考にしてください。
┬─┬───┬─┬
一 │ 宮 │ 一
条 │   │ 条
大 └───┘ 大
路   朱   路
│   雀 │
│右  大  左│
│京  路  京│

喜重郎

ごめんなさい一坊大路です。
┬─┬───┬─┬
一 │ 宮 │ 一
坊 │   │ 坊
大 └───┘ 大
路   朱   路
│   雀 │
│右  大  左│
│京  路  京│

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