日本史
高校生
解決済み

「辛亥年」や「乙巳年」って、文字から西暦を導くことはできますか?

32次のI.I · Ⅲの文を読み, (①)~ (①) に適語を入れ,下の設問に答えよ。 1978年,埼玉県(① )古墳の諜郷から出土した鉄剣に,(a) 「辛亥年」で始まる115文字の銘文がある ことが判明した。銘文には「獲加多支園大王」とあり,1873年,熊本県(② )古墳出土の鉄刀の銘文の「獲 ロロロ歯大王」と同一人物とみられ,大王は(b)倭の五王のうち「武」,すなわち( ③ )天皇に比定されて いる。 I 6( [設問](1) 下線部(a)は西暦何年と考えられているか、次のうちから一つ選び, 記号で答えよ。 ウ、471年 エ.527年 オ.562年 (2) 下線部(b)に関して, 倭の五王があいついで中国の南朝に朝貢したことが示されている中国の ア.391年 イ.421年 の 分 古県奈 ヤマド政権の支配の仕組みは( ④ )制度と呼ばれ, 5世紀から6世紀にかけてつくりあげられた。 豪族は,血縁その他の関係をもとに構成された(⑤ )と呼ばれる組織に編成され, 三職務を世襲的に分 し,大王から(6 )に政治的 社会的地位に応じて(c)姓が与えられた。また, 伴造と呼ばれる豪族は I1値田立いて軍事·政治などの職掌を分担した。渡来人も伴造に編成され, それぞれの 史書を答えよ。

回答

✨ ベストアンサー ✨

これは覚えるしかないと思われます…
ただ、パターンさえ押えてしまえばゴリ押しでいけないこともないです(時間はかかりますが…)。

これは十干と十二支の組み合わせによってできています。
・十干→ 甲(こう) 乙(おつ) 丙(へい) 丁(てい)
戊(ぼ)  己(き)  庚(こう) 辛(しん) 壬(じん) 癸(き)
・十二支→ 子(ね)  丑(うし) 寅(とら) 卯(う)
 辰(たつ) 巳(み)  午(うま) 未(ひつじ)
 申(さる) 酉(とり) 戌(いぬ) 亥(い)

十二支はまだ馴染みがあると思いますが、十干は覚えないといけませんね…。

そして、十干と十二支を、それぞれ初めより一つずつ順繰りにとって組み合わせていきます。
 まず甲と子、次に乙と丑、丙と寅、丁と卯、と順々に作っていくと、10番目に癸酉ができ、ここで十干は終わりになるから、また甲に戻ります。十二支の方はそのまま11番目の戌をとって甲戌、次に乙亥とし、亥で十二支の方は終わるから、また初めに戻り子をとり乙の次の丙とで丙子を作ります。
 このようにして組み合せていくと、60の干支ができるので、これを六十干支というのです。
説明わかりづらいと思いますがご容赦ください🙇🙇‍♂️🙇‍♀️

meee

丁寧に説明して頂きありがとうございます!
計算式って分かりますか…?

この十干十二支は日本のものでは無いため、西暦1年からぴったり「甲子」が始まった訳では無いと思われます。
なので、計算式が分からないです、申し訳ありません🙇‍♀️

ただ、法則として下1桁が
甲 4
乙 5
丙 6
丁 7
戊 8
己 9
庚 0
辛 1
壬 2
癸 3
となります。
ひとつの暗記法として、キリがいい年を覚えるといいです。1600年・1900年は子年、670年・1870年は午年が代表的です。

meee

ありがとうございました!!助かりました!

この回答にコメントする
疑問は解決しましたか?